第67講「土壌とテロワール完全編」の最後に、こう予告しました——ボルドー右岸の台地の頂に露出した粘土と、そこに立つ11ヘクタールあまりの畑の話を、と。
ボルドーの赤といえば、多くの人はメドックの壮麗なシャトーと、1855年の格付けを思い浮かべます。ところが、世界でもっとも高価なボルドーの赤は、格付けを持たない、平坦で小さな台地から生まれています。教会の尖塔が見わたせるほどの広さに、農家のような建物が点々と並ぶ——それがポムロールです。
約800ヘクタールの、小さな台地
ポムロールは、ボルドー市の東、ドルドーニュ川沿いの町リブルヌの北東にあります。原産地の区域はポムロール村の全域とリブルヌ市の北部で、北はバルバンヌ川を境にラランド=ド=ポムロールと、南東はサン=テミリオンと接しています。
ボルドーワイン委員会(CIVB)の数字では、面積は813ヘクタール、栽培者は138。ボルドー全体のわずか0.7%です。INAO(フランス国立原産地・品質研究所)の仕様書によれば、1経営あたりの平均はおよそ6ヘクタールで、協同組合もありません。小さな家族経営のシャトーが寄り集まった産地、というのがポムロールの素顔です。
もうひとつ大事な特徴が、公式の格付けがないことです。メドックには1855年の格付けが、隣のサン=テミリオンには見直し制の格付けがありますが、ポムロールは一度も公式の格付けを設けていません。シャトーの序列は、評判と市場価格が決めています。
粘土、礫、そして「鉄のかさぶた」
ポムロールの土は、ひとことで言えば礫(砂利)と粘土です。INAOの仕様書は、台地を東から西へ、三つの帯として説明しています。
- 高位の段丘(標高30〜40メートル) 中央山塊から川が運んできた、赤みを帯びた砂・礫・小石の層。その下、深さはまちまちなところに、水を含むと膨らむ粘土(スメクタイト)に富む第三紀の層が眠っている。
- 中位の段丘(標高20〜25メートル) 砂まじりの粘土のなかに礫が散らばる。
- 斜面と裾 上から崩れてきた土が溜まった場所。西のイル川の谷に向かって、土地はゆるやかに下っていく。
そして仕様書が品質の要素として挙げるのが、第三紀の粘土層(ぶどうをゆっくり熟させ、水の供給を安定させる)、地表の礫(水はけと照り返し)、そして「クラス・ド・フェール(crasse de fer)」——直訳すれば「鉄のかさぶた」と呼ばれる、酸化鉄で固まった層です。この層はフランス地質調査所の地質図にも実際に記載されています。
台地の頂でも、もっとも高いあたりは標高40メートル前後(ラ・コンセイヤントは自社の畑の最高点を42メートルとしています)。山と呼べるような起伏はなく、見わたすかぎり平らに近い土地です。ポムロールでは、わずか数メートルの高低差と、土の中身の違いが、畑の性格を分けています。

「世界に唯一の青い粘土」は本当か
ペトリュスを紹介する文章には、決まって「青い粘土」が登場します。4,000万年前の粘土、世界でここにしかない粘土——と。
事実を確かめると、少し違う絵が見えてきます。フランス地質調査所の地質図(5万分の1「リブルヌ」)によれば、ポムロール台地の下の基盤は第三紀の地層で、その粘土鉱物はスメクタイトが60〜70%を占めます。スメクタイトは水を含むと膨らみ、乾くと縮む性質を持つ粘土です。ところが、同じようにスメクタイトの多い地層は、リブルヌ一帯に広く分布しています。粘土の種類そのものは、決して唯一ではありません。
では何が特別なのか。それは位置関係です。ふつう、この粘土の上には第四紀の砂利の層が厚く覆いかぶさっています。ところが台地の頂のごく一部で、侵食によって砂利がはがれ、粘土が地表近くに顔を出している。生産者たちはこの部分を「ボタン穴(boutonnière)」と呼び、ペトリュスの畑はまさにその上にあるとされます(なお、この語は地質図の本文には現れず、産地での通称です)。
騎士団の十字路から、ベルギーの食卓へ
ポムロールの歴史について、INAOの仕様書は次のような物語を記しています。台地をローマ時代の街道が二本横切り、12世紀には聖ヨハネ騎士団(エルサレムの聖ヨハネ救護騎士団)の最初の拠点がここに置かれ、そこからぶどう栽培が広がった。ポムロールの救護所は、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼の宿場だった——と。公的な文書が採用している説ですが、12世紀という年代を中世の史料で独自に確かめることはできていないため、ここではそう伝えられていると書いておきます。
確かな記録が現れるのは18世紀です。百年戦争で荒れた土地は18世紀半ばに再建され、1761年の記録には、リブルヌの商人ルイ・レオナール・フォントモワンの畑が、8年間で白ぶどうから黒ぶどうへ植え替えられたことが記されています。その黒ぶどうとは、プレサック(コット)、ブーシェ(カベルネ・フラン)、そしてメルロー。いまのポムロールの品種構成の、はっきりした出発点です。
それでも、仕様書自身が認めるとおり「ポムロールの名声は19世紀後半まで限られていた」。販路を開いたのは、フランス中部のコレーズ地方から移り住んだ人々でした。彼らはリブルヌで商人となり、パリへの鉄道とともにフランス北部へ、そしてベルギーへと、ポムロールのワインを運びました。メドックの顧客がイギリスだったのに対し、ポムロールを最初に愛したのはベルギーの食卓だったのです。ヴュー・シャトー・セルタンを1924年に買ったティエンポン家がベルギーのワイン商だったのも、この流れのなかにあります。
制度の整備は20世紀に入ってからです。1900年に生産者組合が発足し(初代会長はラ・コンセイヤントのルイ・ニコラ)、1928年のジロンド県の裁判所の判決で産地の範囲が定まり、1936年12月8日の政令でAOCとして認定されました。
ムエックスと、ペトリュス
ポムロールが世界の頂点に上った物語は、ひとつの家族の名前を抜きには語れません。ムエックスです。
ジャン=ピエール・ムエックスは1937年、リブルヌでワイン商の事業を興しました。1940年代、ペトリュスの所有者だったルバ夫人は、その販売をムエックスに任せます。ムエックスはその後、自らもポムロールのシャトーを手に入れていきました——1950年にラ・フルール・ペトリュス、1953年にトロタノワ。1961年にルバ夫人が亡くなると、1964年に甥の持ち分をムエックスが買い取り、1969年には残りの持ち分とともに、隣のガザンの畑約5ヘクタールを加えました。ペトリュスの畑が約7ヘクタールから約11.4ヘクタールになったのは、このときです。
ジャン=ピエール・ムエックスは事業を二人の息子に分けました。長男ジャン=フランソワはワイン商のデュクロとペトリュスを、次男クリスチャンはワイン商としての本体(エタブリスマン・ジャン=ピエール・ムエックス)を継ぎます。クリスチャンは1970年から2008年までペトリュスの運営を担い、2009年からはジャン=フランソワの家族が経営しています。よく「2008年に資産が分割された」と書かれますが、実際には、所有はもともとジャン=フランソワの側にあり、2008年を最後にクリスチャンが運営から退いた、というのが正確です。
醸造の現場では、1964年から2008年までジャン=クロード・ベルエが44年にわたってペトリュスの醸造を率い、その後を息子のオリヴィエ・ベルエが継ぎました。一方、クリスチャンの側のムエックス社は、トロタノワ、ラ・フルール・ペトリュス、1999年に取得したオザンナなどを率いています。
格付けがないのに、なぜ最高値なのか
ポムロールの最大の謎は、これでしょう。国の格付けを一度も持たない産地が、なぜ世界最高値の赤を生むのか。
- 量が、極端に少ない 産地全体で約800ヘクタール、ペトリュスの畑は約11ヘクタール、ル・パンは約2.7ヘクタール。メドックの一級シャトーが数十ヘクタールから100ヘクタール規模であるのと比べると、桁が違います。
- 台地の頂という、限られた場所 粘土が顔を出す「ボタン穴」は台地のごく一部で、生産者たちはその周辺を約20ヘクタールと説明します。条件の良い場所が、物理的に広げられません。
- 販路と評価の積み重ね 1940年代からムエックスが築いた販売網が、欧米の顧客にポムロールを届けました。さらに専門誌の見方では、1982年ヴィンテージへの米国の評論家ロバート・パーカーの高い評価が、需要と価格を一気に押し上げたとされます。
メルローと、ブーシェ
ポムロールはメルローの産地です。ボルドーワイン委員会の数字では、作付けの約80%がメルロー、約15%がカベルネ・フラン、約5%がカベルネ・ソーヴィニヨン(比率は資料によって揺れ、メルローを約70%とするものもあります)。INAOの仕様書は、メルローは粘土質の礫土で、カベルネ系はより礫の多い土で最もよく育つとしています。冷たく水を保つ粘土は、成熟の早いメルローにとって、乾きすぎず、熟しすぎない環境をつくります(品種の基本は品種図鑑:メルローに)。

それでも、ポムロールを本当に面白くしているのは、脇役のはずのカベルネ・フランです。この土地では昔からブーシェ(Bouchet)という地元の名で呼ばれてきました。ラフルールはブーシェとメルローをほぼ拮抗させ、ヴュー・シャトー・セルタンはカベルネ・フランとカベルネ・ソーヴィニヨンを3割前後加えます。メルローの丸さに、フランのスミレや鉛筆の芯のような香りと、すっと伸びる骨格が加わる——ポムロールの上位のワインが「豊かなのに重くない」と評されるのは、この組み合わせによるところが大きいとされます(品種図鑑:カベルネ・フラン)。
反対に、トロタノワやペトリュスのように、近年メルロー100%へ寄せていったシャトーもあります。同じ台地の上で、ブーシェを重んじる家と、メルローに賭ける家が隣り合っている。その違いを飲み比べられるのも、ポムロールの楽しみです。
ヴィンテージの読み方
ポムロールは粘土の水もちがよいため、乾燥した暑い年に強いとよく言われます。実際、ワイン・スペクテイター誌の右岸の評価でも、2019年、2020年は「ポムロールの粘土が好結果をもたらした」年として語られています。
- 2005年(97点)——「驚くべきポムロール」と評された年
- 2009年(96点)・2010年(98点)——ふたつ続いた偉大な年。2009年はポムロールが傑出したとされる
- 2015年(97点)・2016年(94点)——2016年は粘土の土壌が強さを見せた
- 2021年(84点)——霜と雨でばらつきの大きかった年
- 2022年(97点)——極端な干ばつの年。深い粘土の中心部は持ちこたえた一方、台地の縁の礫や砂の畑は傷みを受けたとされ、畑による差が大きい年でもあった
点数は評価者によって違うので、目安として使ってください。ヴィンテージの考え方そのものは第29講「ヴィンテージ完全編」で扱っています。
選び方と、食卓
ポムロールは、ボルドーのなかでも価格が高い産地です。上の価格帯は、ワイン・サーチャーに集計された米国の平均価格(税抜・750ml、2026年9月時点)をもとにした目安で、日本の店頭では為替や輸送費によって上下します。
- まず中堅のシャトーの、良い年を ネナンやガザンのような、海外平均で100ドル前後のシャトーの、評価の高いヴィンテージから入るのがおすすめです。ポムロールらしい丸さと、トリュフや腐葉土を思わせる香りがつかめます。もっと手頃に雰囲気を知りたければ、隣のラランド=ド=ポムロールという選択肢もあります。
- 次に、ブーシェの家とメルローの家を比べる ヴュー・シャトー・セルタン(カベルネ・フラン多め)とトロタノワ(メルロー主体)を並べると、同じ台地の上で品種の配合がどれだけ性格を変えるかがよくわかります。
- 記念の一本は、寝かせる前提で 上位のシャトーは、メルロー主体とはいえ10年以上たってから真価を見せることが多いワインです。ラベルの情報の読み方は第41講「ラベルの読み方」をどうぞ。
飲み方は、16〜18℃くらいから。若いものはデキャンタで空気に触れさせると、果実とタンニンがほどけます。料理は、ポムロールの豊かな果実と、粘土由来と言われる土っぽい香りに寄り添うものを。鴨のロースト、仔羊、牛のフィレ、きのこのソテー、トリュフを使った料理。日本の食卓なら、すき焼きや、椎茸をたっぷり使った牛肉の煮込み、鴨のつけ汁そばといった、甘辛い旨みのある料理ともよく合います。
ボルドー全体の地図は第5講「ボルドー完全編」で、左岸の格付けの物語は銘醸図鑑「メドック1855年格付け」で、甘口の頂点は銘醸図鑑「ソーテルヌ」でどうぞ。格付けという物差しを持つ左岸と、評判だけで頂点に立った右岸。同じボルドーの赤でも、その価値の決まり方はまるで違います。