「桔梗ヶ原メルロー」はここから始まった
長野の産地ページで触れた「桔梗ヶ原のメルロー」——その物語の出発点が林農園・五一わいんです。1911(明治44)年、諏訪郡平野村(現・岡谷市)の製糸業の家に生まれた林五一(1890〜1992)が桔梗ヶ原に入植し、4.5haの果樹園を開きました。ワインの醸造を始めたのは1919(大正8)年で、第一号は「鷹の羽」の名を冠したぶどう酒。屋号の「五一」は創業者の名そのものです。
転機は1951(昭和26)年。五一と息子の林幹雄は、山形県赤湯(現・南陽市)で育てられていた欧州系品種メルロに出会い、穂木を譲り受けて桔梗ヶ原へ持ち帰ります。翌1952年に植栽——長野県で最初にメルロを手がけた造り手です。「欧州系品種は育たない」とされた土地で、冬の凍害に対しては樹に藁を巻き、試行錯誤の末に高い位置で接ぎ木する「高接ぎ法」を考案。1985年ごろから冬を越せるようになるまで、30年余りの闘いでした。五一は1969年に黄綬褒章を受け、101歳まで生きています。
一軒の挑戦が、産地を変えた
1976年、メルシャンの浅井昭吾(評論家としての筆名は麻井宇介)が地元の出荷組合の農家にメルロ栽培への転換を呼びかけ、林五一の尽力もあって約60戸がメルロに転換しました。幹雄氏も近隣の大手に栽培を強く勧めたと語っています。その先に、1989年、シャトー・メルシャン「信州桔梗ヶ原メルロー1985」のリュブリアーナ国際ワインコンクール大金賞があります。一軒のワイナリーの挑戦が産地全体の評価を変えた——日本ワイン史でも屈指のドラマです。看板の「桔梗ヶ原メルロ」は、その原点を今に伝える一本。
二つの畑——桔梗ヶ原と、標高800mの柿沢
自社畑は二か所です。本社に隣接する桔梗ヶ原の農場(7ha)は、メルロを主体にシャルドネ、そしてコンコードとナイヤガラ。棚仕立てを改良した「ハヤシ・スマート方式」で育てます。1890年に始まった桔梗ヶ原のぶどう栽培はコンコードとナイアガラから出発しており、1,500円台の「塩尻シリーズ」にいまも両品種が残っているのは、産地の原点を切り捨てていない証しです。
もう一つが2011年に開拓した柿沢農場(5ha)。桔梗ヶ原より100mほど高い標高800m、気温は1度ほど低く、メルロ・シャルドネ・カベルネ・ソーヴィニヨンなどを、契約農家が敬遠しがちな低収量の垣根仕立てで栽培しています。その実力は日本ワインの登竜門である日本ワインコンクールに表れました——2024年、「エステートゴイチ メルロ 柿沢2021」が欧州系品種赤部門で金賞・部門最高賞。前年2023年には「エステートゴイチ シラー2021」が金賞、2026年も9アイテムが銀・銅賞(塩尻セイベル9110とマスカットベーリーAはコストパフォーマンス賞併賞)と、毎年コンスタントに入賞しています。
土壌については面白い食い違いがあります。桔梗ヶ原一帯は、礫層の上に乗鞍岳由来の火山灰が積もった酸性の黒ボク土で、地下水位が低く水はけがよい——もともと「水に乏しく農業に向かない」荒地でした。一方、林農園は自社畑を「粘土質で保湿性がある」と説明しています。同じ台地でも区画ごとに性格が違う、ということでしょう。標高700m前後、松本盆地の南端にあたるため、昼夜の寒暖差が大きいのは共通です。
ラインナップの読み方
公式オンラインストア(2026年時点・税込)を目安に、四つの階層で捉えると選びやすくなります。
- フラッグシップ——「桔梗ヶ原メルロ」「桔梗ヶ原シャルドネ」(各6,600円)。自社畑の看板で、贈り物にも。
- エステート(エステートゴイチ)——メルロ、カベルネ・メルロ、シラー(各3,410円)、ピノ・ノアール(3,630円)、シャルドネ(2,750円)、ソーヴィニヨンブラン、ケルナー、甲州、龍眼、メルロロゼ(2,200〜3,080円)。柿沢農場の名を冠したメルロやシャルドネもこの階層です。
- 塩尻シリーズ——塩尻メルロ(1,782円)、マスカットベーリーA、ブラッククイーン、セイベル9110(各1,672円)、コンコード、ナイヤガラ(各1,562円)。産地の日常酒。
- そのほか——貴腐ワイン、シャルドネの微発泡「デフィヴァン ペティヤン」、龍眼を果皮ごと醸した「龍眼マセラシオン」(オレンジワイン部門で入賞)など。
売店に並ぶ名前は「エステート」、受賞発表や小売店の表記は「エステートゴイチ」と揺れますが、同じシリーズです。なお、他社のシリーズ名と混同されることがありますが、五一わいんに「プライベートリザーブ」というラインはありません。メルローという品種の性格を知ったうえで飲むと、桔梗ヶ原の一本がなぜ「日本のメルロー」の基準になったのかが腑に落ちるはずです。
気取らない売店で
訪問の主役は、家族的な雰囲気の売店(9:00〜16:30、年末年始休)。有料試飲は4〜6種類で、16時までに終わるので午後遅くの到着は避けたいところ。農場見学は予約不要・無料で所要15分ほど——10名以上なら事前に売店へ連絡を。醸造施設の見学は公式に案内されていないので、畑と売店を軸に計画するのが確実です。JR塩尻駅から約2km(徒歩25分、タクシー5分)、塩尻ICから車で約10分、駐車場は約8台。観光施設化されていない、産地の日常に触れられる距離感が魅力です。
歩いて回るなら、道路を挟んだ向かいの井筒ワイン(塩尻市宗賀1298-187。五一わいんは1298-170)とセットに。30種類以上の試飲ができる井筒と、産地の原点である五一を一度に歩けば、長野ワインの背骨が見えてきます。川を挟んだ洗馬地区の信濃ワイン(1916年創業・地下セラー見学可)まで足を延ばすなら車で。塩尻市内には18軒前後のワイナリーが集まる「桔梗ヶ原ワインバレー」が広がっています。巡り方の設計は第51講を。
