龍眼を醸すために、この蔵は生まれた
小諸ワイナリーの出発点は、ヨーロッパ品種ではありませんでした。一本の在来ぶどうです。
マンズワインの公式コラムによれば、1967年、当時の社長・茂木七左衞門が長野市の湯福神社近くの旧家で、紫色の見事な房をつけた大きなぶどう樹を見つけました。醸造学の権威・坂口謹一郎博士に相談すると、「それはおそらく善光寺ぶどうだろう。研究したら良いワインができるかも知れない」という答えが返ってきます。この竜眼(龍眼)=善光寺ぶどうをワインにするために、1971年から長野で契約栽培が始まり、1973年に小諸ワイナリーが竣工、同年に善光寺ぶどうが初めて仕込まれました。樹齢100年を超えるその原木は、いまも小諸ワイナリーの敷地に移植されて生きています。
会社としての歴史はもう少し前にさかのぼります。勝沼ワイナリーを運営するマンズワイン株式会社は、1962年に「勝沼洋酒株式会社」として設立され、1963年に勝沼で初醸造、1964年に現社名へ商号変更しました。キッコーマン株式会社の100%子会社で、社名の「マン」は「萬(キッコーマン)」とラテン語 manna に由来します。しょうゆの醸造会社がワインを造り始めた——その二番目の拠点が、浅間山麓の小諸でした。
1988年の雪が、この蔵の進路を変えた
決定的な事件は、開設から15年後に起きます。1988年10月、季節外れの大雪。龍眼を育てていた棚のほとんどが倒壊しました。
日本のぶどう栽培は、長らく棚仕立てが主流でした。多雨多湿の環境で房を地面から離し、風を通すための合理的な選択です(仕立ての考え方は第59講で詳しく扱っています)。しかし雪の重みには弱い。この雪害をきっかけに、小諸は欧州系品種+垣根仕立てへと大きく舵を切ります。1989年からシャルドネ・メルロー・信濃リースリングへの植え替えとレインカット垣根栽培が本格化し、それが十数年後の「ソラリス」へつながりました。一夜の雪が、日本のプレミアムワインの系譜をつくったと言っても大げさではありません。
マンズ・レインカット栽培法——雨と、正面から交渉する
小諸を語るうえで外せないのが、この蔵が自ら考案した「マンズ・レインカット栽培法」です。仕組みはシンプルで、垣根仕立ての上部に簡易な雨よけ(ビニールの覆い)を張り、房に雨が直接当たらないようにするというもの。晴天時には開いて日照を確保します。
狙いは「濡らさないこと」そのものではなく、待てるようにすることです。成熟期に雨が続くと灰色かび病などのリスクが高まり、造り手はまだ熟していないのに穫らざるを得なくなる。雨を遮れば、その圧力から解放されて、納得のいく熟度まで畑で待てます。公式年表では1987年に方式を確立して特許を出願、1996年に特許許諾。この技術に対して考案者が科学技術庁長官賞(創意工夫功労者表彰)を受けていますが、受賞年は公式年表が1996年、長野県公式サイトや業界紙が1999年度としており、記録に食い違いがあります。
長野県公式のNAGANO WINEサイトは、「ソラリス」シリーズのぶどうはすべてこの栽培法で育てられていると記しています。日本の気候をハンディキャップとして嘆くのではなく、装置で条件を書き換えてから勝負する——きわめて工学的な発想です。
標高650mの畑と、1981年に植えられたシャルドネ
小諸ワイナリーは標高約650mの浅間山南麓にあります。小諸市公式は地元の気候を「降水量が少なく、昼夜の寒暖差が大きい」と説明し、世界の銘醸地と似ていると評しています。
この畑の資産は、何よりも時間です。1981年に植え付けが始まったシャルドネは、いまや樹齢40年超。公式は「日本国内の欧州系ぶどう品種でここまでの樹齢の畑はほぼ無い」としており、ここから「ソラリス 小諸 シャルドネ ヴィエイユ・ヴィーニュ」が生まれます。栽培・醸造責任者の西畑徹平氏は、「ぶどうの樹齢だけは絶対に追い付けない。1981年にシャルドネを植えてくれた人への感謝しかない」と語っています。フランスでぶどう栽培士とワイン醸造士の国家資格を取得し、2018年からソラリスの醸造責任者を務める人物です。
畑は小諸だけではありません。公式年表によれば1992年に上田市塩田地区、1994年に同市東山地区でカベルネ・ソーヴィニヨンの植え付けが始まりました。「ソラリス 東山 カベルネ・ソーヴィニヨン」の畑名はここに由来します。長野県公式が挙げる小諸の栽培品種は、シャルドネ、メルロー、浅間メルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン、信濃リースリング、ソーヴィニヨン・ブラン、善光寺(竜眼)など。敷地内には32品種を植えた品種園もあり、公式は「ここまで数多くの品種を1区画内で一度に見られる場所は国内外でも珍しい」としています。なお自社畑の面積と年間生産量は公表されていません。
ソラリス——2001年生まれ、25年目のプレミアム
「ソラリス」(ラテン語で「太陽」)は2001年誕生。2026年で25周年を迎えました。
上から見ると、およそ次のような層になっています。最上位が「ソラリス マニフィカ」——5年以上の熟成を経てから発売される特別なキュヴェ。その下に、単一畑・単一品種の「小諸 シャルドネ ヴィエイユ・ヴィーニュ」「東山 カベルネ・ソーヴィニヨン」「小諸 メルロー」。さらに産地名を広くとった「千曲川」シリーズ、そして入口の「ユヴェンタ」。公式オンラインショップの価格はおおむね3,000円台から2万円台(すべて税込)で、ヴィンテージが替われば価格も動きます。
評価も積み上がっています。日本ワイナリーアワードでは2024年(第7回)から2026年(第9回)まで3年連続で5つ星。Japan Wine Competition(日本ワインコンクール)では2025年に「ソラリス 千曲川 信濃リースリング クリオ・エクストラクション 2023」が極甘口部門で金賞を獲り、2026年は11製品が入賞しています。外交・公式行事での採用も多く、公式年表には2008年の北海道洞爺湖サミットでの採用、JAL・ANAの国際線ファーストクラス採用(直近では2026年6月に「ソラリス 千曲川 シャルドネ 樽仕込 2022」)などが並びます。日本ワインが「国産だから」ではなく品質で選ばれる段階に入ったことを、この蔵は早い時期から体現してきました。
訪ね方——庭園の地下に、セラーがある
ここの見学は、日本のワイナリーのなかでも少し変わっています。約3,000坪の日本庭園「万酔園」があり、その地下にセラーが広がっているのです。庭園には約170種・1万本の植栽、滝、池、枯山水、東屋、茶室、そして小諸ゆかりの島崎藤村の石碑まであります。
入場・入園は無料。ぶどう畑と庭園を歩き、ショップで買い物をするだけなら予約も要りません。ショップではソラリスを中心に常時10種類以上の有料試飲ができます。
一歩踏み込むなら小諸ワイナリーツアーです。スタッフの案内で畑・万酔園・通常非公開の地下セラーを巡り、テイスティングまで含めて約60分。金・土・日・祝の13:30開始、要予約で、コースは①トップレンジ試飲(3種)2,800円 ②スタンダード試飲(4種)2,500円 ③ジュース試飲(2種)1,200円(いずれも税込)。予約は来場日の3か月前から2日前まで。第51講で書いたとおり、ワイナリー訪問の価値は試飲そのものより「畑と造りを自分の目で見てから飲む」ことにあります。樹齢40年超のシャルドネの前に立ってから飲むヴィエイユ・ヴィーニュは、同じ一杯ではありません。
営業時間は4〜11月が9:30〜16:30(無休)、12〜3月が10:00〜16:00(火・水曜定休、祝日を除く)。小諸ICから約5分、小諸駅からタクシーで約10分です。
千曲川ワインバレーのなかで
小諸は、長野県が掲げる「信州ワインバレー構想」の四つのバレー——千曲川・桔梗ヶ原・日本アルプス・天竜川——のうち、千曲川ワインバレーに属します。長野県のワイナリー数は81場で全国2位(国税庁「酒類製造業及び酒類卸売業の概況」令和7年アンケート/全国計519場、1位は山梨の85場)。前回調査の75場から増えており、増え続けている県である点が山梨との違いです。
背景のひとつが制度です。千曲川ワインバレー(東地区)特区が2015年6月30日に認定され、区域内の原料を使う果実酒については、酒類製造免許に必要な最低製造数量が年6キロリットルから2キロリットルへ引き下げられました。小規模で始められるようになった結果、小諸市公式サイトが掲載するワイナリーだけで8軒——マンズワイン小諸ワイナリーのほか、ジオヒルズワイナリー、アンワイナリー、テールドシエル、ドメーヌ・フジタ、ミリ・ボーテ、グラン・ミュール カワグチ葡萄園、農花——が並ぶ土地になりました。
1973年に龍眼のために建てられた一軒が、いまは新しい造り手たちに囲まれている。第9講で見た日本ワインの半世紀が、この一角に凝縮しています。
