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ワインガイド Vinotier
銘醸ワイン図鑑

コート・ロティ

Côte-Rôtie / フランス・北ローヌ
産地
フランス・北ローヌ
スタイル
香りで魅せるシラーの北限
主な品種
シラー・ヴィオニエ
コート・ロティの秋の段々畑。石積みのテラスが急斜面を階段状に覆う
コート・ロティの秋の段々畑。石積みのテラスが急斜面を階段状に覆う / Photo: “Cote rotie” by Olivier Lemoine (https://Photo-Terroir.fr), CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)
このページの要点

コート・ロティ(Côte-Rôtie)は、フランス・北ローヌの最北端にある赤ワイン専用のAOC(1940年10月18日制定)です。リヨンの南およそ40キロ、ローヌ川右岸のアンピュイを中心とする3村に広がり、面積は約343ヘクタール(Inter Rhône、2024年収穫)。斜度は最大60%という断崖に石積みのテラスを組んでシラーを育て、白ぶどうヴィオニエを最大20%まで一緒に発酵させることが認められた、世界でも珍しい産地です。名は「焼けた丘」を意味します。

この記事の目次

コート・ロティは、面積わずか343ヘクタール。シャトーヌフ・デュ・パプの十分の一ほどの小さな産地です。それでいて、ローヌのワインの中でもっとも高価な一本を出し、エルミタージュと並び称される。しかもこの畑は、つい六十年ほど前まで、消えかけていました。

急斜面、白ぶどうの混醸、そして復活の物語。この三つが、コート・ロティという名前を特別なものにしています。

「焼けた丘」— シラーの北限にある断崖

コート・ロティがあるのは、リヨンの南およそ40キロ、ローヌ川の右岸。アンピュイ、テュパン=スモン、サン=シール=シュル=ローヌの3村にまたがります(AOCは1940年10月18日制定。当初は2村で、1966年にサン=シールが加わりました)。

ここは北ローヌの最北端であり、AOCの公式明細書は、この地を「シラーという品種の、もっとも北の砦」と表現します。北からの冷たい風は現地で「ビーズ」と呼ばれ、リヨネ気候と呼ばれる半大陸性の気候が、南フランスとは違う緊張感をぶどうに与えます。

数字にすると、この畑の異様さがわかります。標高180〜325メートル、斜度は最大60%。機械はもちろん、家畜すら入れません。すべて人の手で、1ヘクタールあたり年間1,800時間——ふつうの畑の何倍もの労働がかかります。収穫は手摘みが義務で、房は潰さないよう丸ごと運ばれます。

崩れやすい斜面を耕作可能にしているのが、石積みです。ブロンド側の風化した砂質土は現地語で「アルゼル」と呼ばれ、あまりに脆いため「シェイ」という空積みの石垣で支えなければ畑になりません。ブリュンヌ側では「シャイエ」と呼ばれる狭い段々を階段状に組みます。写真に写る幾何学模様は、装飾ではなく生存のための構造です。

なおこの丘のワインの歴史は、ローマまで遡ります。大プリニウスの『博物誌』は、ヴィエンヌの地——コート・ロティのすぐ北の街——のワインを名指しで挙げ、樹脂の風味を持つ品種が土地を有名にしていること、そしてヴィエンヌの人々だけがそれを高値で売っていることを記しています。当時のワインは壺に樹脂を塗って造られ「ピカトゥム」、品種は「アロブロギカ」と呼ばれました。近くのサン=ロマン=アン=ガルには、収穫と踏み潰しを描いた3世紀初頭のモザイクが残っています。ただし、プリニウスが称えたのは「ヴィエンヌの地」であって「コート・ロティ」という地名ではない——ここは正確に押さえておきたいところです。

ブロンドとブリュンヌ、二つの斜面

コート・ブロンドの斜面と、ふもとに掲げられた「Côte Blonde CÔTE-RÔTIE」の看板
アンピュイの村はずれ、コート・ブロンドの斜面。ふもとの壁と斜面の看板が、区画の境を旅人に告げる / Photo: “Parcelles d'un viticulteur de l'AOC” by Daniel CULSAN, CC BY-SA 3.0(Wikimedia Commons)

この産地には73のリュー・ディ(区画名)がありますが、まず覚えるべきは二つの名前です。アンピュイの斜面を南北に分けるコート・ブロンドとコート・ブリュンヌ。両者はフォンジャン川で隔てられ、北がブリュンヌ、南がブロンドです。

コート・ブロンド(南)コート・ブリュンヌ(北)
基盤の岩片麻岩(グナイス)雲母片岩(ミカシスト)
土の色と質明るいケイ酸質。台地から吹き寄せたレスが混じる暗い色。ケイ酸が少なく粘土質で、鉄分に富む
作風の傾向丸みとしなやかさ。赤い果実とスミレ。早くから開くタンニンが強く骨格が大きい。黒系果実とスパイス。長熟型
ヴィオニエ混植されている区画が多い少ない(シラー100%が主流)

そして、この二つの名前には有名な伝説があります。アンピュイのある領主に金髪(ブロンド)と黒髪(ブリュンヌ)の二人の娘がいて、それぞれに斜面を分け与えた——というものです。

ただしAOCの公式明細書は、この話を明確に「伝説(légendes)」として紹介し、「とされる(prétendument)」という言葉を添えています。そして同じ段落で「より科学的なもうひとつの説明」として、基盤岩の違いによる土の色を挙げる。つまり公式文書自身が、詩的な物語のあとに種明かしを置いているわけです。銘醸地の規定書が伝説を否定する例は、エルミタージュの隠者伝説にも見られる、この地方らしい律義さかもしれません。

赤に白ぶどうを混ぜる、という流儀

コート・ロティを他の赤ワイン産地から決定的に分けているのが、ヴィオニエの混醸です。

規定を正確に読むと、こうなります。畑の作付はシラーが80%以上。ヴィオニエは「混植」として、シラーの区画の中に株数の20%を上限に植えることが認められる。そして重要なのは、両者を使う場合は「ぶどうの段階で混ぜて醸造する」——つまり共醸(コ・フェルマンタシオン)が義務だという点です。できあがったワイン同士を混ぜることは認められていません。

なぜこの土地だけがそうなったのか。公式明細書は、すぐ南にヴィオニエの聖地コンドリューがあることを理由に挙げています。17世紀初頭にはコート・ロティでも白が造られていましたが、コンドリューやシャトー・グリエという高名な白の産地が近すぎたために早々に放棄された。ヴィオニエの株がいまも畑に残っているのは、その白ワイン時代の名残だというのです。

効果としてよく語られるのは、色素の安定(共着色)と、花の香りによる香りの高揚、そしてタンニンの丸みです。ただし公平に言えば、共醸が必ず色を濃くするとは限らないという研究結果もあります。そもそも意図的な技法というより、混植された畑を分けて収穫する手間を省いた実務的な慣行だった可能性も指摘されています。「長く言われてきたが、科学の裏づけは一様ではない」——このくらいの温度で受け止めるのが正確でしょう。

そして実際の使用量は、上限の20%よりはるかに少ないのが現実です。今日の一般的な混醸率は3〜5%、多くて10%程度。ジャンシス・ロビンソンは「実際にはコート・ロティの大半はシラー100%」と書いています。ベルナール・ルヴェのように、ヴィオニエを一切使わない造り手も少なくありません。

消えかけた畑と、それを救った人たち

ローヌ川のほとりに建つシャトー・ダンピュイの館
ローヌ川に面して建つシャトー・ダンピュイ。1995年にギガルが取得し、本拠として改修した / Photo: “Château d'Ampuis 6” by PHILDIC, CC0(Wikimedia Commons)

いま高値で取引されるこの畑は、二十世紀に本当に消滅しかけました。AOCの公式明細書は、率直にこう書いています——「二十世紀の間に、この畑は消え去りかけた」。

理由は重なっています。まずフィロキセラ。1893年にローヌ渓谷を通った人物の記録には、「かつて名高かった畑はほとんど破壊され、コート・ロティやコンドリューの斜面にはわずかな株が残るのみ」とあります。続く第一次大戦が働き手を奪い、そして戦後のローヌ渓谷の工業化が決定打になりました。機械も動物も入れない急斜面の労働に、人が集まらなくなったのです。多くの地主は、より儲かるアプリコットなどの果樹に転作しました。

どこまで減ったのか。資料によって数字が割れますが、1960年前後にはおおむね50〜70ヘクタールまで落ち込んだと見られ、もっとも具体的な記録では1961年にマルセル・ギガルが家業に加わった時点で42ヘクタールだったと伝えられます。現在の343ヘクタールは、その底から五倍から八倍ということになります。フィロキセラ以前の面積を回復したのは2010年のことでした。

救ったのは、数人の人間です。生産者組合の会長アルベール・デルヴューは、この地で初めてワイン専業で生計を立てた栽培家とされ、若いマルセル・ギガルと組んで畑が宅地に転用されるのを食い止めました。伝説的な造り手マリユス・ジャンタですら、当時は生活のために野菜を作っていた——1980年頃、のちに「ラ・トゥルク」となる畑の購入を打診されて、野菜のほうが儲かるからと断ったという逸話が伝わります。この土地の価値が、当時どれほど信じられていなかったかがわかる話です。

流れを変えたのが、1966年のラ・ムーリーヌでした。この地初の単一畑ワインという発想そのものが新しく、1976年の豊作で需要が跳ね、価格は三か月で三倍になったと言われます。そして決定打がロバート・パーカー。1985年ヴィンテージを「1982年のボルドーを飲んで以来、もっともドラマティックなワイン」と評し、1987年の雑誌記事でギガルとロスタンの単一畑を絶賛。1997年には「ラ・ラ」の11ヴィンテージを一挙に100点へ格上げしました。格下扱いだったコート・ロティが、エルミタージュと並び、時に価格で追い越すまでになったのはこの時期です。

「ラ・ラ・ラ」— 三つの単一畑

ギガルの三つの単一畑は、頭文字から「ラ・ラ・ラ」と呼ばれます。同じ造り手が、同じ収量、同じ新樽100%・約40か月という条件で仕込みながら、畑が違うだけでこれほど違うことを示す、テロワールの実験室のような三本です。

ラ・ムーリーヌラ・トゥルクラ・ランドンヌ
初ヴィンテージ1966年1985年1978年
斜面コート・ブロンドコート・ブリュンヌコート・ブリュンヌ最北
品種構成シラー89% / ヴィオニエ11%シラー93% / ヴィオニエ7%シラー100%(全房)
樹齢の目安約100年約40年平均50年
年産の目安約4,600本約4,000〜4,600本約9,300本
土壌片麻岩と明色のケイ酸質、石灰質のレスケイ酸石灰と片岩、酸化鉄に富む粘土酸化鉄を極めて多く含む石灰質粘土

畑にまつわる物語も、それぞれ違います。ラ・ランドンヌは、マルセル・ギガルが十年かけて17人の栽培家から小区画を買い集めてひとつに再構成し、1975年に植樹したもの——息子フィリップの誕生を記念しての植樹でした。ラ・トゥルクは、19世紀に名を馳せたのち約50年間放置されていた畑で、エティエンヌ・ギガルがその品質を記憶していたことから1980年頃に取得され、植え替えを経て1985年に初リリースされています。

評価の面では、ワイン・スペクテイター誌が2024年に、三兄弟が通算30回の100点を得たと報じました。ペトリュスやラフィット、ムートンを上回る数字です。2009年ヴィンテージでは史上初めて三本同時に満点がつきました。ただし注意すべき点として、パーカー本人によるローヌの採点は2013年に後任へ引き継がれていますので、「パーカー100点」という表現は概ね2010年前後までのヴィンテージの話だと理解しておくのがよいでしょう。

そして近年、約40年ぶりに四本目の「ラ」が加わりました。ラ・レイナルド——コート・ブロンドとコート・ブリュンヌを分ける川の名に由来し、フォンジャンの1.5ヘクタール、シラー100%。2022年ヴィンテージがデビューです。フィリップ・ギガルの双子の息子の誕生を記念して植えられたと伝えられ、ラ・ランドンヌがフィリップ自身の誕生記念だったことの、静かな反復になっています。

エルミタージュ、コンドリューとの関係

北ローヌを理解するには、この三つを並べるのが早道です。

コート・ロティエルミタージュコンドリュー
面積 / 生産量343ha / 11,752hl136ha / 3,843hl221ha / 7,167hl
色赤のみ赤69% / 白31%白のみ
岸右岸(西)左岸(東)右岸(西)
基盤変成岩(片麻岩・雲母片岩)花崗岩主体花崗岩
品種シラー+ヴィオニエ最大20%(共醸)赤はシラーのみヴィオニエのみ
作風芳香・繊細・優美重厚・長命・堅牢白桃とすいかずら、厚みのある白

※面積・生産量はいずれもInter Rhône『Chiffres Clés 2025』の2024年収穫データ。

意外に思われるかもしれませんが、コート・ロティはエルミタージュの約2.5倍の広さがあります。それでも希少に感じられるのは、生産者が小さく分かれているためです。エルミタージュがジャブレ、シャプティエ、シャーヴといった数社に集中しているのに対し、コート・ロティには90軒前後の生産者がひしめいています。

南隣のコンドリューも、この産地と切り離せません。二つのAOCはともに1940年制定で、境界域のテュパン=エ=スモンでは畑が接しています。コンドリューもまた戦後に壊滅的に縮小し、1970年代末には8ヘクタールまで落ち込みました。その復興を三十年にわたって率いたのがジョルジュ・ヴェルネ——同家がコート・ロティも造っているのは、二つの産地が地続きであることの何よりの証です。ヴィオニエという品種の物語については品種図鑑で詳しく扱っています。

買い方と、近年のヴィンテージ

コート・ロティの価格は、同じAOCの中で7〜8倍の開きがあります。入口は小規模生産者のベーシックで8,000円前後から。産地の教科書としてはギガルの「ブリュヌ・エ・ブロンド」(約9,000〜1万3,000円)が定番で、年産2万ケース規模なので手に入りやすいのも利点です。そこからジェランやクリュゼル・ロックの単一畑、ロスタンのアンポディウム、ジャメと登り、頂点のラ・ラ・ラは5万円から。ラ・ムーリーヌは年によって4万円台から13万円まで動くため、価格を見るときは必ずヴィンテージとセットで確認してください(本稿の目安は2026年9月時点の日本の実勢です)。

年ごとの傾向も、この産地は振れ幅が大きめです。

年この産地での評価
2015近年の頂点とされる年。マルセル・ギガルが「55年で最高」と語ったと伝えられる
2016批評家の評価が割れる年。クラシックでテロワールが透けて見えるとも評される
2017極度の干ばつで平年比約20%減。小粒で凝縮し、熟成向きと評された
2019猛暑のなか8月の雨が救いに。ただし畑ごとのばらつきが大きい
20214月の大霜害で生産量が平年の約4分の3に。単一畑を出さなかった造り手も多い
20239月の豪雨をこの産地だけがほぼ免れ、北ローヌで最も成功した年と評された

飲み方は、第26講で扱った基本のとおり16〜18度が目安。若い年や骨格の強いブリュンヌ系は、抜栓の1〜2時間前に開けるかデカンタに移すと表情が変わります。熟成の考え方については第29講もあわせてどうぞ。

料理は、スミレと黒胡椒、燻したベーコン、黒オリーブという香りの方向から考えるとまとまります。鴨や仔羊のロースト、胡椒を効かせた牛肉、ジビエ、きのこ。ヴィオニエを含むタイプは中盤に厚みがあるので、香草やスパイスを使った料理にもよく寄り添います。北ローヌ全体の地図は第8講で、シラーという品種そのものは品種図鑑で歩いています。

主要生産者と作風

※各ドメーヌの作風は一般的な評価に基づく傾向です。キュヴェやヴィンテージにより表情は変わります。

産地を世界地図に載せた家

E. ギガル

E. Guigal

1946年、エティエンヌ・ギガルがアンピュイに創業。1961年に父の病で経営を継いだマルセルが、1966年にこの地初の単一畑ワイン「ラ・ムーリーヌ」を世に出し、産地の運命を変えました。1984年に老舗ヴィダル・フルーリーを取得、1995年にはアンピュイのシャトー・ダンピュイを手に入れて本拠とします。頂点の「ラ・ラ・ラ」三兄弟は新樽100%で約40か月という極端な熟成。一方で年産2万ケース規模のブリュヌ・エ・ブロンドは、この産地でもっとも入手しやすい入口でもあります。米ワイン・スペクテイター誌は2024年、三兄弟がワイン・アドヴォケイト誌から通算30回の100点を得たと報じました。

全房と長い熟成、伝統派の現在地

ドメーヌ・ジャメ

Domaine Jamet

父ジョゼフが1940年代後半に畑を買い戻して再生した家。兄弟が2013年に畑を折半して分かれ、ジャン=ポールとコリーヌ夫妻が「ドメーヌ・ジャメ」の名を継ぎました。現在は8.5ヘクタールを25区画・17のリュー・ディに散らして持ち、その多くがコート・ブリュンヌ側。主に全房のまま3週間ほど発酵させ、新樽は10〜20%程度にとどめ、無清澄・無濾過で瓶詰めします。アルコールは14%を超えないことがほとんど。単一畑を突き詰めるギガルとは反対に、多数の区画を組み合わせて一本にするのがこの家の思想です。

伝説の二人の畑を継いだ人

ドメーヌ・ロスタン

René Rostaing / Domaine Rostaing

1971年創設。ルネ・ロスタンにとって、産地復興の功労者アルベール・デルヴューは義父、伝説的な造り手マリユス・ジャンタは叔父にあたります。デルヴューの引退(1989年)とジャンタの引退(1993年)によって両者の畑を受け継ぎ、この地の伝統をそのまま抱え込むことになりました。現在は7.5ヘクタール超を14のクリマに持ち、2015年から息子ピエールが指揮。年によっては全房100%、新樽はわずか10〜15%という造りで、入口のキュヴェアンポディウムから単一畑のラ・ランドンヌ、コート・ブロンドまで揃います。

在来のシラー「セリーヌ」を守る

クリュゼル・ロック

Clusel-Roch

1980年、大学を出たばかりのジルベール・クリュゼルが放棄されていた畑の再生から始めた家。ドメーヌ名は妻ブリジット・ロックとの連名です。看板のレ・グランド・プラスは1935年植樹の古木で、1990年代以降はこの古木から選んだマサル・セレクション(アンピュイ在来の低収量シラー「セリーヌ」)だけで植え替えを続けてきました。クローンではなく土地の個体群を残す、という静かな仕事です。有機栽培に早くから転換し、2009年から息子ギヨームが運営を担っています。

新樽を厭わない現代派

ドメーヌ・ジャン=ミシェル・ジェラン

Domaine Jean-Michel Gérin

1983年創設、1987年に最初の一本。翌1988年から単一畑レ・グランド・プラスを独立して仕込み、1996年にラ・ランドンヌを加えました。現在は息子ミカエルとアレクシスが引き継ぎ、2020年に有機栽培へ転換して2023年に認証を取得。除梗と新樽をためらわない現代的な造りで、なかでも入口のシャンパン・ル・セニュールはヴィオニエを1割ほど共醸する、この産地の流儀がわかりやすく出た一本と評されます。

ブルゴーニュ式に区画を階層化

ステファヌ・オジエ

Stéphane Ogier

アンピュイに7世代続く家の当主で、ボーヌで学んだのち1997年に家業へ。区画ごとに醸し、ブルゴーニュのような階層——広域のラ・ロジーヌ(AOC外のIGPシラー)から村名格のモン・ヴィラージュ、上級のレゼルヴ、そして頂点のランスマンとラ・ベル・エレーヌまで——に整理して見せるのが特徴です。ベル・エレーヌは初ヴィンテージ1995年、コート・ロジエの区画から生まれ、母の名を冠した唯一のキュヴェ。畑の細かな読み替えという点で、この産地でもっとも分析的な造り手のひとりです。

除梗せず、樽で三年

ヴィニョーブル・ルヴェ

Bernard Levet / Vignobles Levet

祖父が1936年にアンピュイの畑を買い、1966年から瓶詰めを始めた家。1983年にベルナールとニコルが継ぎ、2004年から娘アニェスが畑と醸造を担います。所有はコート・ロティのみ3.5ヘクタール・6区画と小さく、年産は1万2,000〜1万5,000本ほど。原則として除梗せず、樽で三年寝かせ、無濾過で出す極めて古典的な流儀で、ヴィオニエは一切使いません。ラ・シャヴァロシュなどの区画名キュヴェが知られますが、日本ではほとんど見かけない稀少な造り手です。

1781年からのローヌ最古参

ヴィダル・フルーリー

Vidal-Fleury

1781年創業。現在も操業を続けるローヌ最古の栽培家兼ネゴシアンとされ、1787年には駐仏アメリカ公使だったトマス・ジェファーソンが訪れたとも伝えられます。エティエンヌ・ギガルがかつて働いた家でもあり、1984年にギガルの傘下に入りましたが、いまも別会社として独自の名で瓶詰めを続けています。コート・ブロンドの単一畑キュヴェラ・シャティヨンヌが看板。歴史の長さでは、この産地に並ぶ者のない一軒です。

よくある質問

コート・ロティとはどんな産地ですか?
フランス・北ローヌの最北端にある赤ワイン専用のAOCです。1940年10月18日に制定され、リヨンの南およそ40キロ、ローヌ川右岸のアンピュイを中心とする3村に広がります。面積は約343ヘクタール、年産は約1万1,800ヘクトリットル(Inter Rhône、2024年収穫)。標高180〜325メートル、斜度は最大60%という急斜面に石積みのテラスを組み、シラーを育てます。名は「焼けた丘」の意で、夏に日射で灼かれる斜面に由来するという説が広く受け入れられています。
なぜ赤ワインに白ぶどうを混ぜるのですか?
コート・ロティでは規定上、白ぶどうのヴィオニエを株数の20%まで畑に混植でき、しかも「ぶどうの段階で混ぜて醸す(共醸)」ことが求められます。ワイン同士のブレンドではありません。すぐ南に白の銘醸地コンドリューがあり、この地でも古くから白が造られていた名残だと公式の明細書は説明しています。色を安定させ香りを高めるとされますが、効果を否定する研究もあり、断定はできません。なお実際の使用量は3〜5%程度が一般的で、シラー100%で造る生産者も少なくありません。
コート・ブロンドとコート・ブリュンヌの違いは?
アンピュイの斜面を二分する呼び名で、フォンジャン川を境に北がコート・ブリュンヌ、南がコート・ブロンドです。ブロンドは明色の片麻岩(グナイス)が風化したケイ酸質の土で、しなやかで早くから開く、赤い果実と花の香りのスタイル。ブリュンヌは雲母片岩由来の、鉄分に富む粘土質の暗色土壌で、タンニンが強く骨格が大きく長熟型とされます。「ある領主が金髪と黒髪の二人の娘に分け与えた」という伝説が有名ですが、AOCの公式明細書自身がこれを「伝説」と記し、名の由来は土壌の色にあると説明しています。
「ラ・ラ・ラ」とは何ですか?
E.ギガルが造る三つの単一畑ワイン、ラ・ムーリーヌ(初ヴィンテージ1966年)、ラ・ランドンヌ(1978年)、ラ・トゥルク(1985年)の総称です。いずれも収量35ヘクトリットル毎ヘクタール、新樽100%で約40か月という極端な造り。ムーリーヌはコート・ブロンドでヴィオニエ11%、トゥルクは7%、ランドンヌはシラー100%の全房仕込みと性格が分かれます。年産はそれぞれおよそ4,600本・4,000〜4,600本・9,300本と少なく、日本での実勢は5万〜7万7,000円ほどです。2022年ヴィンテージからは第4の「ラ」、ラ・レイナルドが加わりました。
エルミタージュとはどう違いますか?
同じ北ローヌのシラーですが、コート・ロティはローヌ右岸の最北で、より冷涼。基盤は片麻岩や雲母片岩などの変成岩で、ヴィオニエの共醸が認められ、赤しか造りません。エルミタージュは左岸のより温暖な丘で、花崗岩主体、赤はシラーのみ、白(マルサンヌ・ルーサンヌ)も約3割を占めます。作風は、コート・ロティが香り高く優美、エルミタージュが重厚で長命と語られます。規模もコート・ロティ343ヘクタールに対しエルミタージュは136ヘクタールと、意外にもコート・ロティのほうが約2.5倍大きい産地です。
どのくらいの予算から買えますか?
2026年9月時点の日本の実勢で、小規模生産者のベーシックが8,000円前後から。産地の教科書として入りやすいのはギガルの「ブリュヌ・エ・ブロンド」で、およそ9,000〜1万3,000円です。そこからジェランやクリュゼル・ロックの単一畑(1万3,000〜2万円)、ロスタンのアンポディウム(1万7,000円前後)、ジャメ(3万円台)へと登り、頂点のラ・ラ・ラは5万円以上。同じAOCの中で7〜8倍の開きがあるのがこの産地の特徴です。価格は為替と流通で動くため、購入時にご確認ください。
当たり年はいつですか?
近年では2015年が突出しており、マルセル・ギガルが「55年で最高」と語ったと伝えられます。2019年、2023年も評価が高く、とくに2023年は9月の豪雨をこの産地だけが免れたことから、北ローヌでもっとも成功した年と評されました。2016年・2018年・2020年は批評家の見解が分かれる年です。難しかったのは2021年で、4月の大霜害により生産量が平年の4分の3ほどに落ち込み、単一畑をリリースせず村名格に回した造り手も多く出ました。年号だけで決めず、造り手の評判とあわせて選ぶのが確実です。
飲み頃と合わせる料理は?
若いうちは香りが華やかで、5年ほどで角が取れ、上級のものは10〜20年の熟成に応えるとされます。提供温度は16〜18度が目安で、若い年や堅い年は抜栓の1〜2時間前に開けるか、デカンタに移すと開きやすくなります。黒胡椒やスミレ、燻したベーコン、黒オリーブといった香りの方向から、鴨や仔羊のロースト、胡椒を効かせた牛肉、ジビエ、きのこの料理と好相性です。ヴィオニエを含むタイプは中盤に厚みがあるので、香草やスパイスを使った料理にもよく寄り添います。

最終更新: 2026-09-03 / 編集: Vinotier編集部