商店街の中の、ガラス張りのタンク室
ワイナリーこのはながあるのは、秋田県北東部、鹿角市花輪の商店街です。JR花輪線の鹿角花輪駅から歩いて5分ほど。ぶどう畑に囲まれた郊外の蔵ではなく、店が並ぶ通りの一角に、ステンレスタンクの並ぶ醸造室がガラス越しに見えています。駅から歩いて行け、車のハンドルを握らずに試飲ができる——日本のワイナリーとしては、かなり珍しい立地です。
醸造所が建っているのは、公式サイトによればパチンコ店の跡地。鹿角市の「まちなか賑ワイナリー整備事業」の支援を受けて開かれました。中心市街地ににぎわいを戻すための事業の名前に「ワイナリー」が入っているところに、このワイナリーの成り立ちがよく表れています。運営は株式会社MKpaso、屋号の「このはな」は、富士山の神としても知られる木花咲耶姫(このはなさくやひめ)からとられています。
小坂町・鴇——40年近い、ぶどうの前史
このはなのワインを理解するには、醸造所より先に畑の歴史を知る必要があります。原料のぶどうはすべて、鹿角市の隣、鹿角郡小坂町の鴇(ときと)地区で育ったもの。公式サイトの「誕生秘話」がたどる年表は、こうです。
- 1988年——小坂町で葡萄栽培振興事業が始まり、鴇地区の農家が栽培を開始
- 1989年——山ぶどう交配種の栽培が本格化
- 1998年——仕立てを垣根から棚へ変更
- 2003年——有限会社十和田湖樹海農園が設立
- 2006年——収穫量45トン
- 2010年——栽培農家7戸、総面積約9ha、生産量35トン。果実酒製造免許を取得し、鹿角市に醸造所「ワイナリーこのはな」を開設
- 2013年4月——約0.5haの畑を自社畑として借り受け
ここで見逃せないのが、醸造所ができる前の事情です。公式サイトによれば、小坂町産のぶどうから造られたワインの約3分の2は、他社の銘柄として出回っていた。20年以上ぶどうを育ててきた土地の名前が、ラベルには載っていなかったのです。このはなは、町の加工流通推進協議会のワイン部門として生まれ、「鴇(Tokito)」という地名をブランドに掲げました。産地の名を取り戻すための醸造所、と言ってもいいでしょう。
なお鹿角市は、2010年3月に国の構造改革特区「果実酒・どぶろくの地かづの創造特区」の認定を受けています。このはなの免許がこの特区制度を使ったものかどうかは、公開情報からは確認できませんでした。
雪国の山ぶどう交配種
鴇で育つのは、日本の野生種山ぶどうの血を引く交配品種です。秋田は日照時間が全国でも短い部類で、冬には雪が深く積もります。ヨーロッパ系の品種には厳しい条件ですが、山ぶどう系の品種はこの寒さと雪に耐えます。
- 小公子(しょうこうし)——看板品種。公式サイトの説明では、中央アジアのぶどうと日本に自生する山ぶどうなど5種類の交配種。色がきわめて濃く、酸と野性味のある果実香が持ち味
- ヤマ・ソービニオン——山ぶどうとカベルネ・ソーヴィニヨンの交配品種。カベルネ譲りの骨格と、山ぶどうの酸(石川の能登ワインもこの品種を看板にしています)
- ワイングランド——同じく山ぶどう系の交配品種。ロゼや甘口のブレンドにも使われる
- ポートランド——白ぶどう。鴇地区では毎年1トンほどしか採れないとされる希少な原料
どの品種も、ヨーロッパの銘醸地の尺度では測りにくいワインになります。濃い色、はっきりした酸、軽めのアルコール(看板の赤でも12%前後)——それがこの土地の答えです。雪国のぶどうの話は秋田の産地ページや、岩手のくずまきワインとあわせて読むと、北東北の山ぶどう文化の広がりが見えてきます。
樽を使わない、上澄みを詰める
このはなの醸造方針は、公式サイトのトップにはっきり書かれています。「木樽を一切使わずにステンレスタンクで醸造・熟成」。樽の香りやタンニンを足さないのは、山ぶどう系品種の色と酸、野性味をそのまま出すためです(樽がワインに何をしているかは第63講「樽とオーク完全編」で扱っています。使わないという選択にも理由があります)。
看板の「無濾過生詰」は、公式の説明で「タンクの上澄みをそのまま瓶詰め」したもの。濾過をしないため、瓶の底に澱が出ることがあります。飲む前に一日ほど瓶を立てておき、静かに注ぐのがおすすめです。発泡タイプの「シャンペトル」は、無濾過・無清澄・非加熱。小公子のシャンペトルは果皮を漬け込まずに直接搾っていますが、色素がきわめて濃いため、それでも赤ワインの色になるそうです。
シリーズと価格の目安
価格は2026年9月時点の公式オンラインショップ(税込)。幅があるのは、ギフト包装の有無による差です。
- 鴇 小公子 無濾過生詰(赤辛口・720ml・12%)——約3,800〜4,100円。看板の一本
- 鴇 ヤマ・ソービニオン 無濾過生詰(赤辛口・720ml・12%・無補糖)——約3,500〜3,900円
- 彌(あまねし)(赤辛口・ライトボディ・11%)——ワイングランド・小公子・ヤマ・ソービニオンのブレンドで約2,600〜3,000円。普段の食卓向け
- シャンペトル(発泡・375ml)——小公子(約2,000〜2,300円)、ヤマ・ソービニオン、ワイングランドのロゼ、ポートランドの白(各約1,650〜2,000円)
- シードル——鹿角産りんごの非発泡「かづのシードル フジ」(720ml・約2,200〜2,500円、2017年から醸造)と、発泡のシャンペトル フジ/たかあまはら
年15,000円のワインオーナー制度もあります。生産量が少なく、年によって在庫切れの銘柄も出るため、気になるものは見つけたときに押さえるのが確実です。
評価と、四季島の食卓
小さな蔵ですが、評価ははっきり形になっています。
- 日本ワイナリーアワード2026——★★★
- あきた食のチャンピオンシップ2025——「シャンペトル 小公子 2023」が総合グランプリ(秋田県知事賞)
- TRAIN SUITE 四季島——JR東日本の周遊寝台列車で、「鴇 小公子 無濾過生詰」が提供ワインに採用
- シードルでは、フジ・シードル・チャレンジ2022のブロンズ、ジャパンシードルアワードの二つ星(公式商品ページの記載)
日本ワインコンクールでの受賞は、公開情報からは確認できませんでした。
訪ねる、合わせる
醸造所の見学は無料で随時受付、試飲も無料で全種類とされています。ただし営業時間と定休日は、公式サイトの中ですら「10時〜17時・日曜休」と「9時〜17時・木曜休」が併存し、観光サイトの表記も分かれています。イベントへの出店で閉める日もあるため、訪ねる前に電話(0186-22-2388)で確認してください。駅から歩けるので、飲む日でも安心です(ワイナリーを訪ねるときの心得は第51講に)。
合わせる料理について、公式サイトの提案は具体的です。小公子は刺身や寿司、ウニやイクラなどの魚卵、和食全般(寿司・刺身とワイン)。ブレンドの彌は鍋料理やバーベキュー、とりわけ比内地鶏のきりたんぽ鍋(鍋料理とワイン)。ヤマ・ソービニオンは肉料理とチーズ。濃い色なのに重すぎない山ぶどう系の赤は、醤油や出汁の料理と驚くほど素直につながります。秋田の食卓で育ったワインを、秋田の料理と——このはなを訪ねる、いちばんの理由かもしれません。第9講「日本ワイン産地巡り」もあわせてどうぞ。