第69講「交配品種とクローン完全編」の最後に、こう予告しました——14世紀に石の壁で囲まれた、ブルゴーニュの特級畑の話を、と。
第67講「土壌とテロワール完全編」では、修道士たちが区画ごとの味の違いを見極め、畑を壁で囲った歴史に触れました。その象徴がクロ・ド・ヴージョです。ところが、この「ひとつの壁に囲まれたひとつの畑」は、いまでは約80の所有者に分かれ、同じ名前のワインが造り手によってまるで違う顔を見せます。テロワールの教科書であり、同時に「造り手で選べ」というブルゴーニュの格言の教科書でもある——それがクロ・ド・ヴージョです。
約50ヘクタール、ひとつの壁
クロ・ド・ヴージョは、ブルゴーニュのコート・ド・ニュイ、ヴォーヌ=ロマネ村とシャンボール=ミュジニー村にはさまれた小さなヴージョ村にあります。1937年7月31日にAOCとして認定されました。
面積はブルゴーニュワイン委員会(BIVB)の資料で50.59ヘクタール(資料によって数字が少しずつ違うため、「約50ヘクタール」と覚えておけば十分です)。コート・ド・ニュイの特級畑のなかではもっとも広い部類に入ります。年間の生産量は、BIVBの2014〜2018年の平均で約1,740ヘクトリットル、ボトルにして約23万本です。
そして、この畑の最大の特徴が所有者の多さです。INAOの仕様書も城の公式資料も「約80」と記し、区画を持つフェヴレは公式サイトで「82」と書いています。約50ヘクタールを80で割れば、1所有者あたり平均わずか0.6ヘクタールあまり。1列、数列のぶどうの樹しか持たない所有者もいると言われます。
修道士が囲った畑
物語は、1098年に始まります。ブルゴーニュのシトーの地に、厳格な戒律を重んじる修道会が創設されました。シトー会です。
城の公式資料によれば、修道士たちは1109年から1115年ごろにかけてヴージョ周辺の土地の寄進を受け、ぶどう畑を拓いていきました。12世紀にはワインを貯蔵するセリエ(貯蔵庫)が建てられ、畑は少しずつ広げられていきます。そして14世紀前半、畑をぐるりと囲む石の壁が完成したと伝えられます(1336年ごろとする資料が多いですが、年代は資料によって幅があります)。修道士たちが区画ごとの出来の違いを記録し、よいワインが生まれる場所を見極めていったことは、のちの「クリマ(区画)」の考え方の源流のひとつと考えられています。

1551年、シトー会の院長ドン・ジャン・ロワジエのもとで、いまの城の本館となるルネサンス様式の館が建てられました。中世の醸造棟には、巨大な木製の圧搾機がいまも残っています。
転機はフランス革命でした。1790年、修道会の財産は国有財産として没収され、畑は翌年、競売にかけられたと伝えられます。その後、1818年には銀行家として知られたウヴラール家が手に入れ、1861年まで、クロはひとりの所有者のもとにありました。
この畑には、有名な逸話がひとつあります。ライン方面へ向かう途中のビソン大佐が、クロ・ド・ヴージョの前で部隊を止め、兵士たちに捧げ銃をさせた——という話です。出どころは作家スタンダールの1838年の著作『ある旅行者の手記』。「いまもフランス軍が通るときには敬礼する」と続けて紹介されることもありますが、それを裏づける確かな資料は見当たりません。名高いワインへの敬意を伝える、よくできた逸話として楽しむのがよいでしょう。
上と下で、別の畑
クロ・ド・ヴージョは、コート(丘陵)の斜面のいちばん下まで広がる、珍しい特級畑です。多くの特級畑が斜面の中腹に帯のように並ぶのに対し、クロ・ド・ヴージョは修道士が囲った範囲がそのまま特級になったため、斜面の上部から、幹線道路(国道74号線)近くの低い場所までを含んでいます。上端では、特級のミュジニーとグラン・エシェゾーに接しています。
BIVBの資料は、畑を上・中・下の三つに分けて説明しています。
| 位置 | 標高 | 土の深さ | 土のようす |
|---|---|---|---|
| 上部 | 約255メートル | 約40センチ | 粗い砂礫。その下に石灰岩 |
| 中部 | 約250メートル | 約45センチ | 褐色で粘土が多め。その下に砕けた石灰岩 |
| 下部 | 約240メートル | 約90センチ | 深い褐色の土。その下に粘土と沖積土に富む泥灰土 |
高低差はわずか15メートルほど。それでも、上部は土が浅く水はけがよく、下部は土が深く水をたくわえやすい、というはっきりした違いがあります。岩盤はいずれもジュラ紀のものです。
畑のなかには、リュー・ディ(小区画名)がいくつもあります。上部にはミュジニ、シウール、グラン・モーペルテュイ、プラント・ラベ、モンティオット・オート。そのほか、プティ・モーペルテュイ、マレ・オー/バ、ガレンヌ、モンティオット・バス、ボード・サン=マルタンなどが知られています。ラベルに区画名が書かれることは多くありませんが、造り手が区画の位置を公表していれば、それが斜面のどこかを知る手がかりになります。
80の所有者——だから「造り手で選ぶ」
所有者が約80もいるということは、ラベルに「クロ・ド・ヴージョ」とあっても、斜面のどこの、樹齢何年の、誰が造ったぶどうかがまったく違いうるということです。ブルゴーニュでよく言われる「畑より造り手」という格言が、これほど当てはまる畑はありません。
- 区画の位置 上部か、中部か、下部か。複数の位置の区画を持ち、合わせて造る生産者もいます。
- 樹齢 1905年植えや1920年植えの古木を持つ造り手もいれば、植え替えて間もない区画もあります。
- 造り手の哲学 収量をどこまで抑えるか、全房を使うか、新樽の比率をどうするか。同じ区画でも造り手によって味は変わります。
上の生産者カードでは、区画の位置や面積を公式に示している造り手を中心に選びました。シャトー・ド・ラ・トゥールは最大の所有者として平均像を、メオ=カミュゼやアンヌ・グロは上部の区画の表現を、フェヴレは複数の区画を合わせた骨格を見せてくれます。飲み比べれば、ひとつの畑のなかにどれだけの違いがあるかが、よくわかります。
城と、タストヴァン騎士団
クロ・ド・ヴージョの城は、いまブルゴーニュのワイン文化の中心のひとつになっています。その主がタストヴァン騎士団(コンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タストヴァン)です。
騎士団は1934年11月16日、ニュイ=サン=ジョルジュで、ジョルジュ・フェヴレとカミーユ・ロディエが創設しました。世界恐慌のあとでブルゴーニュワインが売れなくなっていた時代に、その魅力を広く伝えようとした親睦団体です。
1944年11月29日、当時の所有者エティエンヌ・カミュゼは城を売却しました。買い手は「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ友の会」という法人で、騎士団はそこから長期の賃借契約を受け、城を本部としています。売却されたのは城だけで、畑は含まれていません(「騎士団が畑ごと城を買った」という紹介は誤りです)。城は1949年に国の歴史的建造物に指定されました。
騎士団は1950年から「タストヴィナージュ」という認定試飲を始めました。審査に合格したブルゴーニュワインには、専用のラベルを貼ることが認められます。会員は世界に約12,000人。城ではいまも、晩餐会を兼ねた叙任式が開かれています。

2015年7月4日には、「ブルゴーニュのぶどう畑のクリマ」がユネスコの世界遺産に登録されました。城の公式サイトによれば、クロ・ド・ヴージョの城はその本部となっています。修道士が区画を見極めた歴史が、世界の文化遺産として認められた、その象徴の場所です。城は一般に公開されていて、中世の圧搾機や貯蔵庫を見学できます(開館日や時間は公式サイトで確認してください)。
ヴージョ村と「クロ・ブラン」
クロ・ド・ヴージョの周りには、村名と一級畑のAOCヴージョがあります。1936年12月8日の認定で、BIVBの資料によれば面積は赤が11.03ヘクタール(うち一級9.09)、白が4.94ヘクタール(うち一級4.11)。一級畑はレ・クラ、クロ・ド・ラ・ペリエール、レ・プティ・ヴージョ、ル・クロ・ブランの4つです。
なかでも面白いのが、「ル・クロ・ブラン・ド・ヴージョ」です。城の前、クロの北側の壁の外にある一級畑で、ドメーヌ・ド・ラ・ヴージュレが単独で所有しています。公式サイトによれば、修道士の時代から白ぶどうが植えられ、革命のあとも分割されずに受け継がれてきました。いまの構成はシャルドネ95%、ピノ・グリ4%、ピノ・ブラン1%。コート・ド・ニュイの赤の名所に残る、珍しい白です。
ヴィンテージと飲みごろ
クロ・ド・ヴージョは、特級らしく長期熟成に向くワインです。若いうちは果実とタンニンがしっかりしていて、10年前後たつと、森の下草やなめし革、きのこを思わせる熟成の香りが現れてきます。造り手によって、また区画の位置によって、飲みごろはかなり違います。
ブルゴーニュ全体のヴィンテージの傾向は第29講「ヴィンテージと熟成完全編」で扱っています。コート・ド・ニュイでは、2021年のように春の霜で収量が大きく減った年もありました。クロのなかでも斜面の位置で霜の受け方は違うとされ、年ごとの差は造り手の説明を参考にするのが確かです。
選び方と、食卓
クロ・ド・ヴージョは特級畑のなかでは生産量が多く、ブルゴーニュの特級として比較的手に取りやすい存在です。それでも決して安いワインではありません。上の価格帯は、ワイン・サーチャーに集計された米国の平均価格(税抜・750ml、2026年9月時点)をもとにした目安で、日本の店頭では為替や輸送費によって上下します。
- まずは平均像をつかむ ルイ・ジャドのような大手のネゴシアンや、最大の所有者シャトー・ド・ラ・トゥールの、評価の高い年から。クロ・ド・ヴージョらしいしっかりした骨格と果実がつかめます。
- 次に、区画の位置を明かす造り手を比べる 上部のメオ=カミュゼやアンヌ・グロと、複数の区画を合わせるフェヴレを並べると、同じ畑のなかの違いが見えてきます。
- ヴォーヌ=ロマネやシャンボールと並べる 上端で接するミュジニーやグラン・エシェゾーを持つ村のワインと比べると、クロ・ド・ヴージョのしっかりとした性格がよくわかります。銘醸図鑑「ヴォーヌ=ロマネ」と「シャンベルタン」もどうぞ。
飲み方は、16〜18℃くらいから。若いものは大ぶりのブルゴーニュグラスで、空気に触れさせながらゆっくりと。料理は、鴨のロースト、牛ほほ肉の赤ワイン煮(ブフ・ブルギニョン)、ジビエ、きのこの料理が定番です。日本の食卓なら、すき焼きや、鴨南蛮、松茸や椎茸をたっぷり使った料理ともよく寄り添います。ラベルの読み方は第41講「ラベルの読み方完全編」で、ブルゴーニュ全体の地図は第4講「ブルゴーニュ完全編」で、ピノ・ノワールという品種そのものは品種「ピノ・ノワール」でどうぞ。
修道士が石を積んで囲った一枚の畑は、革命と相続を経て、80の手に分かれました。ひとつの名前、80の解釈。そこに、ブルゴーニュという産地の面白さが凝縮されています。
次回は産地講座へ。第70講は「山梨完全編」。第68講の北海道に続く日本の産地編として、甲州と日本ワインの原点の地を歩きます。