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ワインガイド Vinotier
銘醸ワイン図鑑

クロ・ド・ヴージョ

Clos de Vougeot / フランス・ブルゴーニュ
産地
フランス・ブルゴーニュ
スタイル
石の壁に囲まれた約50ヘクタール、約80の所有者が分け合うピノ・ノワールの特級畑
主な品種
ピノ・ノワール
手前いっぱいに夏のぶどう畑が広がり、その先の平らな畑のなかに、石の壁に囲まれた城と大きな屋根の建物が建っている
手前いっぱいに夏のぶどう畑が広がり、その先の平らな畑のなかに、石の壁に囲まれた城と大きな屋根の建物が建っている / Photo: “Vougeot WLM2016 Château du Clos de Vougeot (1)” by PIERRE ANDRE LECLERCQ, CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)
このページの要点

クロ・ド・ヴージョ(Clos de Vougeot/Clos Vougeot)は、フランス・ブルゴーニュのコート・ド・ニュイ、ヴージョ村にある赤ワインの特級畑(グラン・クリュ)です。1937年にAOCとして認定され、面積は約50ヘクタール。12世紀にシトー会の修道士たちが拓き、石の壁で囲った(クロ)畑がそのまま残っています。かつては一人の所有でしたが、1889年以降に分割が進み、いまは約80の所有者が区画を分け合っています。同じ名前のワインでも、斜面のどこに区画があり、誰が造るかで味わいが大きく変わる——それがこの畑を学ぶいちばんの面白さです。

この記事の目次

第69講「交配品種とクローン完全編」の最後に、こう予告しました——14世紀に石の壁で囲まれた、ブルゴーニュの特級畑の話を、と。

第67講「土壌とテロワール完全編」では、修道士たちが区画ごとの味の違いを見極め、畑を壁で囲った歴史に触れました。その象徴がクロ・ド・ヴージョです。ところが、この「ひとつの壁に囲まれたひとつの畑」は、いまでは約80の所有者に分かれ、同じ名前のワインが造り手によってまるで違う顔を見せます。テロワールの教科書であり、同時に「造り手で選べ」というブルゴーニュの格言の教科書でもある——それがクロ・ド・ヴージョです。

約50ヘクタール、ひとつの壁

クロ・ド・ヴージョは、ブルゴーニュのコート・ド・ニュイ、ヴォーヌ=ロマネ村とシャンボール=ミュジニー村にはさまれた小さなヴージョ村にあります。1937年7月31日にAOCとして認定されました。

面積はブルゴーニュワイン委員会(BIVB)の資料で50.59ヘクタール(資料によって数字が少しずつ違うため、「約50ヘクタール」と覚えておけば十分です)。コート・ド・ニュイの特級畑のなかではもっとも広い部類に入ります。年間の生産量は、BIVBの2014〜2018年の平均で約1,740ヘクトリットル、ボトルにして約23万本です。

赤ワインだけの特級。 特級クロ・ド・ヴージョはピノ・ノワールの赤ワインだけです。INAO(フランス国立原産地・品質研究所)の仕様書は、シャルドネ、ピノ・ブラン、ピノ・グリを「補助品種」として、畑に混ざって植わっている場合に限って認めていますが、白の特級はありません。基準収量は1ヘクタールあたり42ヘクトリットル、上限は49ヘクトリットル(「35ヘクトリットル」とする紹介は古い基準です)。植栽密度は1ヘクタールあたり9,000本以上と定められています。

そして、この畑の最大の特徴が所有者の多さです。INAOの仕様書も城の公式資料も「約80」と記し、区画を持つフェヴレは公式サイトで「82」と書いています。約50ヘクタールを80で割れば、1所有者あたり平均わずか0.6ヘクタールあまり。1列、数列のぶどうの樹しか持たない所有者もいると言われます。

修道士が囲った畑

物語は、1098年に始まります。ブルゴーニュのシトーの地に、厳格な戒律を重んじる修道会が創設されました。シトー会です。

城の公式資料によれば、修道士たちは1109年から1115年ごろにかけてヴージョ周辺の土地の寄進を受け、ぶどう畑を拓いていきました。12世紀にはワインを貯蔵するセリエ(貯蔵庫)が建てられ、畑は少しずつ広げられていきます。そして14世紀前半、畑をぐるりと囲む石の壁が完成したと伝えられます(1336年ごろとする資料が多いですが、年代は資料によって幅があります)。修道士たちが区画ごとの出来の違いを記録し、よいワインが生まれる場所を見極めていったことは、のちの「クリマ(区画)」の考え方の源流のひとつと考えられています。

手前のぶどう畑の向こうに、低い石の壁に囲まれた、尖塔のある石造りの城と、大きな瓦屋根の建物が建っている
クロ・ド・ヴージョの城と囲い壁。城の本館は1551年に建てられたルネサンス様式で、中世の醸造棟や貯蔵庫と一体になっている / Photo: “Vougeot, le château du Clos de Vougeot” by Wikipedro, CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

1551年、シトー会の院長ドン・ジャン・ロワジエのもとで、いまの城の本館となるルネサンス様式の館が建てられました。中世の醸造棟には、巨大な木製の圧搾機がいまも残っています。

転機はフランス革命でした。1790年、修道会の財産は国有財産として没収され、畑は翌年、競売にかけられたと伝えられます。その後、1818年には銀行家として知られたウヴラール家が手に入れ、1861年まで、クロはひとりの所有者のもとにありました。

1889年、分割のはじまり。 クロが本格的に分かれたのは1889年です。城の公式資料によれば、このとき地元のネゴシアン6人がクロを買い取りました。ネット上では「15〜16人に売却された」という説明も見かけますが、一次資料が示すのは6人です。その後、相続や売買が重なって区画は細かく分かれ、いまの約80の所有者に至ります。一方で、壁に囲まれた畑の境界そのものは変わっていません。BIVBが「クロは分割されたことがない」と書くのは、この意味です。

この畑には、有名な逸話がひとつあります。ライン方面へ向かう途中のビソン大佐が、クロ・ド・ヴージョの前で部隊を止め、兵士たちに捧げ銃をさせた——という話です。出どころは作家スタンダールの1838年の著作『ある旅行者の手記』。「いまもフランス軍が通るときには敬礼する」と続けて紹介されることもありますが、それを裏づける確かな資料は見当たりません。名高いワインへの敬意を伝える、よくできた逸話として楽しむのがよいでしょう。

上と下で、別の畑

クロ・ド・ヴージョは、コート(丘陵)の斜面のいちばん下まで広がる、珍しい特級畑です。多くの特級畑が斜面の中腹に帯のように並ぶのに対し、クロ・ド・ヴージョは修道士が囲った範囲がそのまま特級になったため、斜面の上部から、幹線道路(国道74号線)近くの低い場所までを含んでいます。上端では、特級のミュジニーとグラン・エシェゾーに接しています。

BIVBの資料は、畑を上・中・下の三つに分けて説明しています。

位置標高土の深さ土のようす
上部約255メートル約40センチ粗い砂礫。その下に石灰岩
中部約250メートル約45センチ褐色で粘土が多め。その下に砕けた石灰岩
下部約240メートル約90センチ深い褐色の土。その下に粘土と沖積土に富む泥灰土

高低差はわずか15メートルほど。それでも、上部は土が浅く水はけがよく、下部は土が深く水をたくわえやすい、というはっきりした違いがあります。岩盤はいずれもジュラ紀のものです。

畑のなかには、リュー・ディ(小区画名)がいくつもあります。上部にはミュジニ、シウール、グラン・モーペルテュイ、プラント・ラベ、モンティオット・オート。そのほか、プティ・モーペルテュイ、マレ・オー/バ、ガレンヌ、モンティオット・バス、ボード・サン=マルタンなどが知られています。ラベルに区画名が書かれることは多くありませんが、造り手が区画の位置を公表していれば、それが斜面のどこかを知る手がかりになります。

「上がよく、下は劣る」は本当か。 一般に、上部の区画のほうが評価が高いとされます。修道士の時代には、上・中・下のぶどうを分けて造り、上部のものを最上とした——という話もよく語られます。ただし、実際のワインの出来は、樹齢、栽培、収量、醸造の違いにも大きく左右されます。下部にも古木を持ち、評価の高いワインを造る生産者はいます。区画の位置は大切な手がかりですが、それだけで決まるものではない、と考えておくのがよいでしょう。土と味の関係の読み方は第67講で扱っています。

80の所有者——だから「造り手で選ぶ」

所有者が約80もいるということは、ラベルに「クロ・ド・ヴージョ」とあっても、斜面のどこの、樹齢何年の、誰が造ったぶどうかがまったく違いうるということです。ブルゴーニュでよく言われる「畑より造り手」という格言が、これほど当てはまる畑はありません。

  1. 区画の位置 上部か、中部か、下部か。複数の位置の区画を持ち、合わせて造る生産者もいます。
  2. 樹齢 1905年植えや1920年植えの古木を持つ造り手もいれば、植え替えて間もない区画もあります。
  3. 造り手の哲学 収量をどこまで抑えるか、全房を使うか、新樽の比率をどうするか。同じ区画でも造り手によって味は変わります。

上の生産者カードでは、区画の位置や面積を公式に示している造り手を中心に選びました。シャトー・ド・ラ・トゥールは最大の所有者として平均像を、メオ=カミュゼやアンヌ・グロは上部の区画の表現を、フェヴレは複数の区画を合わせた骨格を見せてくれます。飲み比べれば、ひとつの畑のなかにどれだけの違いがあるかが、よくわかります。

城と、タストヴァン騎士団

クロ・ド・ヴージョの城は、いまブルゴーニュのワイン文化の中心のひとつになっています。その主がタストヴァン騎士団(コンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タストヴァン)です。

騎士団は1934年11月16日、ニュイ=サン=ジョルジュで、ジョルジュ・フェヴレとカミーユ・ロディエが創設しました。世界恐慌のあとでブルゴーニュワインが売れなくなっていた時代に、その魅力を広く伝えようとした親睦団体です。

1944年11月29日、当時の所有者エティエンヌ・カミュゼは城を売却しました。買い手は「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ友の会」という法人で、騎士団はそこから長期の賃借契約を受け、城を本部としています。売却されたのは城だけで、畑は含まれていません(「騎士団が畑ごと城を買った」という紹介は誤りです)。城は1949年に国の歴史的建造物に指定されました。

騎士団は1950年から「タストヴィナージュ」という認定試飲を始めました。審査に合格したブルゴーニュワインには、専用のラベルを貼ることが認められます。会員は世界に約12,000人。城ではいまも、晩餐会を兼ねた叙任式が開かれています。

石垣とぶどう畑にはさまれた草の小道の先に、赤い窓枠の石造りの建物と、四角い塔が建っている
クロの内側に建つシャトー・ド・ラ・トゥール。約80の所有者のなかで最大の区画を持つ / Photo: “Clos de Vougeot Chateau de la Tour (2)” by © Pierre André, CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

2015年7月4日には、「ブルゴーニュのぶどう畑のクリマ」がユネスコの世界遺産に登録されました。城の公式サイトによれば、クロ・ド・ヴージョの城はその本部となっています。修道士が区画を見極めた歴史が、世界の文化遺産として認められた、その象徴の場所です。城は一般に公開されていて、中世の圧搾機や貯蔵庫を見学できます(開館日や時間は公式サイトで確認してください)。

ヴージョ村と「クロ・ブラン」

クロ・ド・ヴージョの周りには、村名と一級畑のAOCヴージョがあります。1936年12月8日の認定で、BIVBの資料によれば面積は赤が11.03ヘクタール(うち一級9.09)、白が4.94ヘクタール(うち一級4.11)。一級畑はレ・クラ、クロ・ド・ラ・ペリエール、レ・プティ・ヴージョ、ル・クロ・ブランの4つです。

なかでも面白いのが、「ル・クロ・ブラン・ド・ヴージョ」です。城の前、クロの北側の壁の外にある一級畑で、ドメーヌ・ド・ラ・ヴージュレが単独で所有しています。公式サイトによれば、修道士の時代から白ぶどうが植えられ、革命のあとも分割されずに受け継がれてきました。いまの構成はシャルドネ95%、ピノ・グリ4%、ピノ・ブラン1%。コート・ド・ニュイの赤の名所に残る、珍しい白です。

ヴィンテージと飲みごろ

クロ・ド・ヴージョは、特級らしく長期熟成に向くワインです。若いうちは果実とタンニンがしっかりしていて、10年前後たつと、森の下草やなめし革、きのこを思わせる熟成の香りが現れてきます。造り手によって、また区画の位置によって、飲みごろはかなり違います。

ブルゴーニュ全体のヴィンテージの傾向は第29講「ヴィンテージと熟成完全編」で扱っています。コート・ド・ニュイでは、2021年のように春の霜で収量が大きく減った年もありました。クロのなかでも斜面の位置で霜の受け方は違うとされ、年ごとの差は造り手の説明を参考にするのが確かです。

選び方と、食卓

クロ・ド・ヴージョは特級畑のなかでは生産量が多く、ブルゴーニュの特級として比較的手に取りやすい存在です。それでも決して安いワインではありません。上の価格帯は、ワイン・サーチャーに集計された米国の平均価格(税抜・750ml、2026年9月時点)をもとにした目安で、日本の店頭では為替や輸送費によって上下します。

  1. まずは平均像をつかむ ルイ・ジャドのような大手のネゴシアンや、最大の所有者シャトー・ド・ラ・トゥールの、評価の高い年から。クロ・ド・ヴージョらしいしっかりした骨格と果実がつかめます。
  2. 次に、区画の位置を明かす造り手を比べる 上部のメオ=カミュゼやアンヌ・グロと、複数の区画を合わせるフェヴレを並べると、同じ畑のなかの違いが見えてきます。
  3. ヴォーヌ=ロマネやシャンボールと並べる 上端で接するミュジニーやグラン・エシェゾーを持つ村のワインと比べると、クロ・ド・ヴージョのしっかりとした性格がよくわかります。銘醸図鑑「ヴォーヌ=ロマネ」と「シャンベルタン」もどうぞ。

飲み方は、16〜18℃くらいから。若いものは大ぶりのブルゴーニュグラスで、空気に触れさせながらゆっくりと。料理は、鴨のロースト、牛ほほ肉の赤ワイン煮(ブフ・ブルギニョン)、ジビエ、きのこの料理が定番です。日本の食卓なら、すき焼きや、鴨南蛮、松茸や椎茸をたっぷり使った料理ともよく寄り添います。ラベルの読み方は第41講「ラベルの読み方完全編」で、ブルゴーニュ全体の地図は第4講「ブルゴーニュ完全編」で、ピノ・ノワールという品種そのものは品種「ピノ・ノワール」でどうぞ。

修道士が石を積んで囲った一枚の畑は、革命と相続を経て、80の手に分かれました。ひとつの名前、80の解釈。そこに、ブルゴーニュという産地の面白さが凝縮されています。

次回は産地講座へ。第70講は「山梨完全編」。第68講の北海道に続く日本の産地編として、甲州と日本ワインの原点の地を歩きます。

主要生産者と作風

※各ドメーヌの作風は一般的な評価に基づく傾向です。キュヴェやヴィンテージにより表情は変わります。

クロの中の最大の所有者

シャトー・ド・ラ・トゥール

Château de la Tour

約80の所有者のなかで最大の約5.48ヘクタールを持つ造り手です。クロの内側に醸造所を構える、ほぼ唯一の存在として紹介されます。城の下手に主な区画があり、中央部の約2ヘクタールとつながっているとされ、1889年の分割以来、同じ一族が所有してきたと伝えられます。広い面積を持つため、斜面の異なる位置のぶどうを合わせた、クロ全体の平均像に近い一本として飲まれることが多いワインです。古木の区画から別に仕立てるキュヴェもあります。

城の足元、上部の一枚畑

メオ=カミュゼ

Domaine Méo-Camuzet

公式サイトによれば、約3ヘクタールの一続きの区画を、クロの上部、シャトーの足元に持っています。土の深さは約40センチと浅く、区画の約3分の1は1920年に植えられた古い樹です。ドメーヌの名にある「カミュゼ」は、1944年に城を手放したエティエンヌ・カミュゼの家系とされます。ヴォーヌ=ロマネの名手アンリ・ジャイエが長く畑に関わったことでも知られ、果実の厚みとしなやかさを両立させた作風と評されます。

グラン・エシェゾーのすぐ下

アンヌ・グロ

Domaine Anne Gros

公式サイトによれば、上部の区画ル・グラン・モーペルテュイ(Le Grand Maupertui)に0.93ヘクタールを持ち、その場所は特級グラン・エシェゾーのすぐ下です。1905年に植えられた樹を含み、平均樹齢は約70年。土は粘土質で深いとされます。ヴォーヌ=ロマネを拠点とするグロ一族の造り手のひとりで、果実の純度と、なめらかな舌ざわりが評価されています。

騎士団の創設者の家

フェヴレ

Domaine Faiveley

ニュイ=サン=ジョルジュの名門で、タストヴァン騎士団の創設者のひとりジョルジュ・フェヴレの家です。公式サイトによれば、クロの中に3区画・約1.3ヘクタールを持ち、2区画は斜面の下部から中部へ延び、1区画は中心部の城の近くにあります。同じページで、クロの所有者の数を「82」と記しています。複数の位置の区画を合わせることで、骨格のしっかりした、長く熟成するワインに仕立てると評されます。

「ミュジニ」の名を持つ区画

グロ・フレール・エ・スール

Domaine Gros Frère et Sœur

クロの最上部、特級ミュジニーの下、シャトーの上に位置する「ミュジニ(Musigni)」と呼ばれる区画に、約1.5ヘクタールを持つとされます。隣の特級ミュジニーと名前が似ているのは偶然ではなく、同じ斜面の連なりにあるためです。クロのなかでも評価の高い位置として語られることの多い区画で、グロ一族らしい、熟した果実と華やかさのあるスタイルと評されます。

上部のふたつの区画から

ユドロ=ノエラ

Domaine Hudelot-Noëllat

ヴージョ村に本拠を置く造り手で、クロの上部にあるシウール(Chioures)とガレンヌ(Garenne)の区画に、合わせて約0.69ヘクタールを持つとされます。2008年から若い当主シャルル・ヴァン・カネットが率い、透明感と香りの高さを重んじるスタイルで評価を上げたと紹介されています。地元の造り手が、地元の畑をどう表現するかを知る一本です。

1953年に手に入れた区画

ジョルジュ・ミュニュレ=ジブール

Domaine Georges Mugneret-Gibourg

ヴォーヌ=ロマネの家族経営の造り手で、1953年にクロ・ド・ヴージョの区画を手に入れました。区画は、シャトーへ続く道から斜面の中ほどまで延びているとされます。現在は姉妹が運営を担い、果実の繊細さと、ていねいに抽出された品のよいタンニンで知られます。生産量が少なく、入手の難しいワインのひとつです。

ビオディナミの頂点

ドメーヌ・ルロワ

Domaine Leroy

ラルー・ビーズ=ルロワが率いる、ビオディナミで知られるドメーヌで、クロ・ド・ヴージョに約1.9ヘクタールを持つとされます(区画の位置は資料によって記述が分かれます)。収量を極端に抑えた、凝縮度の高いワインで知られ、クロ・ド・ヴージョのなかでも価格は別格です。ドメーヌについては海外ワイナリー「ドメーヌ・ルロワ」で詳しく紹介しています。

よくある質問

クロ・ド・ヴージョとはどんなワインですか?
フランス・ブルゴーニュのコート・ド・ニュイ、ヴージョ村にある赤ワインの特級畑(グラン・クリュ)と、そこから造られるワインです。1937年にAOCに認定され、面積は約50ヘクタール。品種はピノ・ノワールで、12世紀にシトー会の修道士が拓き、石の壁で囲った畑がいまも残っています。
「クロ」とはどういう意味ですか?
石の壁や生け垣で囲われた畑のことです。ブルゴーニュには「クロ」の名を持つ畑が多くありますが、クロ・ド・ヴージョはその代表で、約50ヘクタールの畑が一続きの壁に囲まれています。壁は14世紀前半に完成したと伝えられます。
なぜ所有者が約80もいるのですか?
フランス革命で修道会の財産が国有化されたあと、畑は個人の手に渡り、1861年までは一人の所有が続きました。1889年に地元のネゴシアン6人が買い取ったことをきっかけに分割が進み、相続や売買を重ねて、いまでは約80の所有者が区画を分け合っています。壁に囲まれた畑の境界そのものは変わっていません。
斜面の上と下で、味は違うのですか?
ブルゴーニュワイン委員会(BIVB)によれば、上部は標高約255メートルで土が浅く、砂礫の下に石灰岩があります。下部は約240メートルで、深い褐色の土の下に粘土と沖積土の多い泥灰土があります。一般に上部のほうが評価が高いとされますが、実際の味わいは樹齢や栽培、醸造の違いにも大きく左右されます。区画の位置は選ぶときのひとつの手がかりと考えるのがよいでしょう。
白ワインのクロ・ド・ヴージョはありますか?
特級のクロ・ド・ヴージョは赤ワインだけです。ただし、隣接するヴージョ村の一級畑に「ル・クロ・ブラン・ド・ヴージョ」という白があり、ドメーヌ・ド・ラ・ヴージュレが単独で所有しています。修道士の時代から白ぶどうが植えられてきた畑とされます。
タストヴァン騎士団とは何ですか?
1934年にニュイ=サン=ジョルジュで、ジョルジュ・フェヴレとカミーユ・ロディエが創設したブルゴーニュワインの親睦団体です。1944年に城が「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ友の会」に売却され、騎士団はそこから城を借りて本部としています。畑は売却に含まれていません。会員は約12,000人です。
「兵士が畑に敬礼する」という話は本当ですか?
スタンダールが1838年の著作『ある旅行者の手記』で伝える逸話です。ライン方面へ向かう途中のビソン大佐が、この畑の前で兵士たちに捧げ銃をさせたと書かれています。いまもフランス軍の慣習として続いている、という話には確かな根拠が見当たらないため、史実というより有名な逸話として楽しむのがよいでしょう。
どう選べばいいですか?
同じ「クロ・ド・ヴージョ」でも、造り手と区画の位置で性格も価格も大きく変わります。まずは大手のネゴシアンや、クロ内で最大の所有者シャトー・ド・ラ・トゥールの評価の高い年から入ると、この畑の平均像がつかめます。次に、メオ=カミュゼやアンヌ・グロのように区画の位置を明かしている造り手を飲み比べると、斜面の違いが見えてきます。

最終更新: 2026-09-24 / 編集: Vinotier編集部