
「このワイン、おかしい?」Prologue — when something feels wrong
ワインを飲み慣れてくると、必ず一度は訪れる場面があります。グラスを鼻に近づけて、動きが止まる。果実の香りがしない。何か、湿ったような、ゴムのような、酢のような——。そして次に来るのは、たいてい自分への疑いです。「自分の好みじゃないだけかもしれない」「高いワインだから、こういうものなのかも」。
第57講は、その迷いをほどくための回です。目的はひとつ——「これは自分の好みではない」と「これは壊れている」を、自分で切り分けられるようになること。この二つを区別できるようになると、不思議なことにワインはずっと自由に飲めるようになります。粗探しがうまくなるのではなく、安心して楽しめる範囲が広がるのです。
ワインの欠陥(fault)は、驚くほど数が限られています。日常的に出会うのは実質五種類。第10講でテイスティングの手順を、第26講で保存とサービングを扱いましたが、その両方の「裏側」にあたるのが本講です。まずは地図から。
この五つに加えて、揮発酸(酢っぽさ)と、しばしば誤解される「欠陥ではないもの」を扱います。そして最後に、いちばん実用的な話——気づいたあと、店やレストランでどう伝えるか。

ブショネ——匂いを「消す」欠陥Cork taint — the fault that erases aromas
最も有名で、最も誤解されている欠陥から始めます。ブショネ(仏 bouchonné=「コルクをされた」)。濡れた段ボール、濡れた新聞紙、カビた地下室——この匂いの正体は、2,4,6-トリクロロアニソール(TCA)というひとつの化合物です。
どこから来るのか
できかたは、二つの要素の掛け算です。まず塩素を含むフェノール類(トリクロロフェノール=TCP)が存在すること。かつては木材の塩素系漂白や、コルク樫の管理に使われた薬剤、建材の防腐処理などが供給源でした。そこにカビ(真菌)が加わります。コルクから分離された糸状菌——Penicillium、Trichoderma、Fusarium、Aspergillus など——が持つ酵素が、TCPをO-メチル化してTCAに変えるのです。1990年代から2000年代の研究で、この経路がはっきりと示されました。
だから「塩素漂白をやめれば終わり」とはなりませんでした。前駆体は環境中にも残り、カビはどこにでもいる。しかもTCAはコルクだけの問題ではありません。樽材、木製パレット、建物の梁、ホースやゴム部品——一度ワイナリーの空気中に散れば、設備に付着してその蔵で造られる全部のワインに乗ってしまうことすらあります。関連物質のTBA(トリブロモアニソール)は臭素版で、防炎処理された建材などから来ることが知られており、こちらはスクリューキャップでも起こりえます。カビ臭=コルクのせい、とは限らないのです。
どれくらいの濃度で効くのか
桁を知っておくと理解が早くなります。TCAの香気閾値としてよく引かれるのはピノ・ノワールで1.4 ng/Lという値(Duerr 1985)。1リットルに10億分の1.4グラム——オリンピックプール数杯に角砂糖ひとかけ、といった水準です。ただし数値は媒体とワインによって動きます。訓練された評価者による別の研究では、検知閾値は水で4.6 ng/L、白ワインで6.7 ng/L、赤ワインで7.1 ng/L。赤のほうが香りが濃いぶんマスクされやすいわけです。消費者を対象にした研究では、検知は2.1 ng/L、「これは買いたくない」と拒否される水準は3.1 ng/Lと報告されています。
いちばん重要な事実——TCAは「匂いを消す」
ブショネの説明でほとんど語られないのに、実際にはいちばん役に立つ知見があります。TCAは、自分の臭いを足すより先に、他の香りを感じる力そのものを抑え込むのです。
2013年、竹内らが米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表した研究は、単一の嗅細胞を使って、TCAはそれ自体では嗅細胞に匂い応答を起こさないまま、嗅覚シグナル伝達の環状ヌクレオチド依存性チャネルを強力に抑制することを示しました。つまりTCAは、鼻の受容体そのものの働きを鈍らせる。閾値以下の濃度でも複数の香調がマスクされるという別の研究(Tempereら 2017)も、これと整合します。もちろん濃度が高ければ、はっきりカビ臭として知覚されます——「TCAは無臭」ではありません。順番の問題です。
ここから、実践的な結論が出てきます。軽いブショネは「カビ臭い」という形では現れません。「香りが乏しい」「果実味が薄い」「味が短くて平板」——そういう「何もない」感じとして現れるのです。「カビの匂いがしないからブショネではない」という判断は、しばしば間違います。期待したより明らかに香りが出ないワインは、まずこれを疑ってよい——これは覚えて帰る価値のある一行です。
どれくらいの確率で起こるのか
「12本に1本」「5%」といった数字がいまも語られますが、これは現在の実態とはかなりずれています。コルク業界の監査データは、2000年代初頭からの改善をはっきり示しています。米国のCork Quality Council/Natural Cork Councilの監査では、2023年6月〜2025年末で、入荷したナチュラルコルクの99.4%が放出可能TCA 1 ppt(=1 ng/L)未満。同団体は、記録を取り始めた2001年と比べてTCAの水準は99%低下したとしています。
ただし数字の意味には注意が必要です。これはコルク側の出荷検査であって、消費者が開けたボトルの汚染率そのものではありません。樽や蔵由来のTCA、TBAは別勘定ですし、抜栓後に「おかしい」と感じられる率は、統計上のコルク不良率より高く見積もられがちです。それでも、「昔の数字」で語るのはもうやめてよい——というのが今の状況です。スクリューキャップや技術栓の普及も、この改善と並行して進みました。
「ラップで直る」は本当か
ブショネのワインをラップに触れさせるとTCAが吸着されて直る——よく紹介される裏技です。結論から言うと、家庭でやる価値は薄いと考えてください。
まず、原理そのものは実在します。TCAは脂に溶けやすい(疎水性の)分子なので、化学的に似た性質のプラスチックのほうへ移っていく。1999年のオーストラリアの研究では、ポリエチレンのフィルムがワイン中のクロロアニソール類を90%以上吸着したと報告され、2021年にボルドー大学ISVVが報告した研究でも、食品用フィルムを48時間接触させてTCAが74〜83%減ったとされています(ただしこの研究で使われたフィルムは市販のキッチンラップではなく、正確な組成は公開されていません)。吸着力はPVDC(ポリ塩化ビニリデン。日本の「サランラップ®」がこの素材)やPVC系が高く、米国で主流のLDPE(ポリエチレン)系では同じようにいかない、という指摘もあります。
問題は代償のほうです。同じ研究群が同時に報告しているのは、ワインの色素や香気成分も一緒に吸い取られること——とくに花や果実の香りを担うエステル類は、48時間の接触で7〜8割が失われました。Wine Spectatorの検証記事も否定的で、実際に試したところ「明らかにコルク臭のまま残ったサンプルがあった」「処理した健全なワインは風味の豊かさが乏しくなった」、PVCでは「プラスチックの匂いがつき始めた」として、「手間をかける価値はない」と結論づけています。
つまり、短時間では効かず、効くだけ浸ければ香りごと持っていかれる。ラップは狙った分子だけを選んで吸ってくれるわけではないのです。TCAが減っても残るのは「香りの薄いワイン」で、それは最初の状態とあまり変わりません。素直に別の一本を開けるほうが、たいていの場合は正解です。
酸化と還元Oxidation & reduction — too much air, too little
ブショネの次に出会いやすいのが、酸素をめぐる二つの失敗です。空気に触れすぎた酸化と、触れなさすぎた還元。正反対の原因なのに、どちらも「果実の香りが感じられない」という同じ結果に着地するので、慣れないうちは混同しがちです。
酸化——空気に触れすぎた
まず意外な事実から。ワインの中で、酸素はアルコールと直接には反応しません。酸素分子はそのままではおとなしく、ワインのpH(3〜4)では、フェノール類とも直接には結びつきにくい。実際に起きているのは、鉄や銅のイオンが触媒になる回り道です。カテキンやカフェ酸のようなフェノール類が酸化され、その過程で酸素が段階的に還元されて過酸化水素になり、それが鉄イオンと反応して(フェントン反応)できた強力なラジカルが、ようやくエタノールをアセトアルデヒドへ変える——この連鎖です。1974年にワイルデンラットとシングルトンが示したこの筋道が、いまも酸化の教科書的な理解になっています。
ここで効いているのが亜硫酸(SO2)です。亜硫酸は過酸化水素を水に還元してこの連鎖を断ち切る役目を負っています。だから亜硫酸が尽きたときから、酸化は加速する。「酸化防止剤」という日本語表示は、意外なほど正確なのです。
香りの変化には順番があります。オーストラリアワイン研究所(AWRI)の記述では、まず香りが鈍くなり(dulling)、次に段ボール・藁・干し草のような乾いた印象が出て、進むとシェリー様・マデイラ様へ。極端になると濡れた羊毛やニスのような匂いになります。色は白なら黄金色から琥珀、褐色へ、赤なら紫がかった赤からレンガ色、茶色へと沈んでいきます。白は赤より酸化に弱い——赤に多いフェノール類そのものが天然の抗酸化剤として働くためで、リースリングのような華やかな白ほど傷みやすい、というのは覚えておくと役に立ちます。
もうひとつ、実感に近い補足を。赤ワインの酸化では、アセトアルデヒドより先にストレッカーアルデヒドと呼ばれる一群(メチオナール、フェニルアセトアルデヒドなど)が溜まります。こちらの香りは蜂蜜、レーズン、ドライフルーツ、茹でたじゃがいも。「酸化=シェリーの匂い」と身構えていると見逃しますが、「やけに甘い干し果実の匂いがして、果実の輪郭がぼやけている」——これが酸化の、もっと早い段階の顔です。
そして重要なのは、酸化そのものは敵ではないということ。シェリーのオロロソは、フロール(産膜酵母)を張らせずに樽で酸化熟成させたワインです(フロールはアルコール14.5〜15.5%あたりで最もよく育ち、16.5%を超えるとほとんど張らない——だから17%以上に強めたオロロソは酸化の道を行く)。ジュラのヴァン・ジョーヌも、マデイラも、トウニーポートも同じ。違いは「意図と制御があるか」だけです。第55講で見たオレンジワインの一部も、酸化的なニュアンスを持ち味にしています。詳しくは用語辞典の「酸化」を。
還元——空気に触れなさすぎた
逆方向の失敗が還元です。ゆで卵、下水、擦ったマッチ、焦げたゴム、煮たキャベツ、缶詰のコーン——正体は揮発性硫黄化合物で、AWRIが挙げる閾値の目安はこうです。
| 物質 | 閾値の目安 | 香りの表現 |
|---|---|---|
| 硫化水素(H2S) | 約 1〜2 µg/L | 腐った卵、下水 |
| メタンチオール | 数 µg/L 以下(報告に幅) | 腐敗、キャベツ、焦げたゴム |
| エタンチオール | 約 1.1 µg/L | 玉ねぎ、ゴム、擦ったマッチ |
| ジメチルスルフィド(DMS) | 25〜60 µg/L | 煮たキャベツ、アスパラ、缶詰のコーン |
| ジメチルジスルフィド | 約 29 µg/L | 野菜、強い玉ねぎ様 |
出典=AWRI。同じ機関の別ページでも数値が食い違う項目(メタンチオール・DMS)があり、閾値は「おおよその桁」として捉えるのが実際的です。
原因は主に醸造側にあります。畑で撒いた硫黄の残留、発酵中の窒素不足(酵母が硫黄含有アミノ酸をつくるために硫酸塩を還元し、その副産物としてH2Sが出る)、そして瓶詰め後の低酸素環境。ソーヴィニヨン・ブランの瓶熟成を追った研究では、瓶詰め後3〜6か月あたりでH2Sが大きく蓄積し、栓を通る酸素が少ないほど蓄積が進みました。
そして、ここが本講でいちばん実用的な話です。「還元臭はスワリングやデキャンタで飛ぶ」——これは硫化水素に限っては正しい。沸点が低く揮発しやすいので、空気に触れさせれば減ります。ところがメルカプタン(チオール)類は、通気するとジスルフィドに酸化されます。ジスルフィドは閾値が高いので、たしかに匂いは弱まる。けれど化合物は消えていない——醸造の現場では、銅で取り除くことすらできなくなる厄介な状態です。
つまり家庭でできることは、「開けて、時間をおいて、様子を見る」まで。ゆで卵の匂いなら、グラスで15〜30分、あるいはデキャンタに移して待てば、多くは軽くなります。それでも玉ねぎやゴムのような匂いが残るなら、そこから先は家庭の手には負えません。「銅貨をグラスに入れる」という民間療法は、H2Sが銅と結合する性質を利用したものですが、硫化銅は沈殿せず溶存したまま残ることが近年の研究で示されており、しかも銅はソーヴィニヨン・ブランの魅力である良い香りのチオールまで巻き添えにします。おすすめはしません。
最後に、話をややこしくする——けれど面白い——事実を。還元は、意図的なスタイルでもあります。上質なシャルドネやスパークリングに「擦ったマッチ」「火打石」の香りを求める潮流があり、その原因物質のひとつベンジルメルカプタンは、AWRIの実験によれば硫化水素とベンズアルデヒドから、低pHかつ無酸素の条件で生成します。つまり還元的な醸造がこの香りを生むのは偶然ではない。冷涼産地・長期熟成・高価格帯のワインほど濃度が高い傾向も報告されています。欠陥と個性は、同じ化学の上に立っているのです。
ブレット、そして「欠陥か個性か」Brettanomyces — the argument in a glass
馬小屋、獣、絆創膏、燻製肉、汗——赤ワインでこうした香りに出会ったら、ブレタノマイセス(通称ブレット)という酵母の仕事である可能性が高い。ワインの欠陥のなかで、いちばん議論を呼ぶ存在です。
仕組みは二段階です。ぶどうに含まれるヒドロキシ桂皮酸(p-クマル酸、フェルラ酸、カフェ酸)を、この酵母がまず脱炭酸してビニルフェノールに変え、次に還元してエチルフェノールにする。生まれるのが4-エチルフェノール(4-EP)、4-エチルグアイアコール(4-EG)、そして日本語の記事ではしばしば落とされる4-エチルカテコール(4-EC)の三つです。二段目の還元酵素を持つことが、ブレットを「エチルフェノールを作れる唯一の腐敗酵母」にしています。
ブレット香の主役。絆創膏・薬品的、そして「馬」「レザー」「納屋」。閾値は報告により230〜605 µg/Lと幅があり、ワインのスタイルでも変わる(豪州のカベルネで368 µg/L、樽香の強い赤で569 µg/L)。
クローヴ(丁子)・スパイシー・燻製。閾値は110〜158 µg/Lあたりで、4-EPより低い=少量でも気づかれやすい。「燻製香」は主にこちらの担当。
セイヴォリー・汗/チーズ様・納屋。豪州のカベルネで774 µg/Lと閾値は高め。三つ目の主要成分として近年きちんと数えられるようになった。
よく「赤ワインでは4-EPと4-EGが10対1」と説明されますが、これは品種によって大きく違います。AWRIのデータではピノ・ノワールで約3対1、カベルネ・ソーヴィニヨンやネッビオーロで約9対1、シラーズでは約23対1。前駆体であるp-クマル酸とフェルラ酸の比率が品種ごとに違うためで、「赤ワイン一般で10対1」と丸めるのは正確ではありません。
混同しやすい「ネズミ臭」は別物
ブレットとよく一緒に語られるネズミ臭(mousiness)は、原因も感じ方も違います。原因物質は2-アセチルテトラヒドロピリジンなどで、主犯は乳酸菌。そしてこれが厄介なのは、ワインのpHでは揮発しないため、香りでは分からず、飲み込んだあとの口の中に現れること。「グラスからは何も匂わないのに、後味だけがひどく不快」というときは、これを疑ってください。第45講で触れた亜硫酸をほとんど使わないワインで話題になりやすい欠陥です。
欠陥か、個性か
ここが本講でいちばん割り切れないところです。研究機関の立場は明快で、ブレットは一貫して「腐敗」として扱われています——AWRIの解説は「ワインの欠陥」の章に置かれ、良い面には一切触れません。しかも AWRI は、消費者テストで「ブレット化合物を含むサンプルはすべて有意に嫌われ、最も低い濃度でも受容性を損なった」と報告しており、「低濃度なら複雑さに寄与する」という通説を正面から否定しています。一方で、査読論文の総説にはその「複雑さ」を認める記述があり、批評や消費の世界では長く「テロワールの一部」として語られてきました。この温度差そのものが、ブレットという話題の本体だと言っていいでしょう。
興味深いのは、米国とポルトガルの消費者121人を対象にした研究です。ワインの知識が中〜高の層のほうが、低い層より4-EP等の差をはっきり感じ取りました。「旧世界は寛容、新世界は厳格」といった図式を裏づける確かなデータは見つかりませんが、文化と経験が検知を左右することは示されています。つまり「これはブレットだ」と言えるようになることは、好きになることとは別なのです。判断はあなたの鼻に委ねられています。

熱と光——買ったあとに起きる劣化Heat & light — damage after purchase
ここまでの欠陥は、多くが造り手の側で生まれます。けれど熱劣化と光劣化だけは、流通と家庭で起こる。つまり、私たちが減らせる唯一の劣化です。
熱——数字で押さえる
AWRIが挙げる保管の目安は15〜20℃の乾燥した冷暗所。そして劣化のしきい値については、こう整理されています。30℃で12か月置けば不良フレーバーと品質低下が確認され、40℃を超えると数日で見た目と香りに変化が出る。一般則としては「25℃を長期間、または40℃を短期間」超える環境は品質に影響しうる。消費者向けにはWine Spectatorが7〜18℃(45〜65℉)を理想、21℃(70℉)を超えると望ましいより速く熟成が進むとしています(基準の立て方が違うので、両者を単純に混ぜないほうが正確です)。
加熱で何が起きるかも分かっています。糖の脱水やメイラード反応を経てフルフラール、HMF、ソトロンといった化合物が蓄積する——マデイラの研究では30℃では有意な変化がなく、55℃で4か月置くと甘口でHMFが150 mg/L近くに達しました。熱で傷んだワインを「マデリゼーション」と呼ぶのは、比喩ではなく化学的な事実だったわけです。カリフォルニア大学デイヴィス校の実験でも、シャルドネを20℃・40℃で3か月置くと色が濃くなり、シェリー様・ドライフルーツ様・酢のような性格が出ました(10℃保管が最良)。昼夜の温度差が大きい場所(車内、窓辺、キッチンの上)も避けたいところで、AWRIは温度変動そのものを問題として挙げています。
光——透明な瓶がいちばん危ない
もうひとつが光劣化(フランス語で goût de lumière=「光の味」)。ワインに含まれるリボフラビン(ビタミンB2)が光を吸収して活性化し、メチオニンなどの含硫アミノ酸を分解して、メタンチオールやジメチルジスルフィドを生む——つまり光が当たると、還元臭と同じ物質ができるのです。効くのは370 nmと440 nm付近、近紫外から青色の波長。太陽光でなくても、店の蛍光灯で十分に起こります。
どれくらい速いのか。1989年のドゾン&ノーブルの実験(AJEV)は、同じ白ワインを緑瓶と透明瓶に詰めて蛍光灯に当て、香りに有意差が出るまでの時間を測りました。
Dozon & Noble (1989), Am. J. Enol. Vitic. 40(4)。蛍光灯40W×2灯・距離35cm。香りに有意差が出るまでの時間。
読み取れることは二つ。透明瓶は緑瓶の5〜9分の1の時間で傷むこと。そしてスパークリングは緑瓶でもスティルより早く傷むことです。後者には理由があります——瓶内二次発酵での酵母の自己分解によってアミノ酸が遊離するため、シャンパーニュのようなワインは光劣化の材料をあらかじめ多く抱えているのです。遮光効果の順は茶(アンバー)>緑>透明で、茶瓶は約450 nm未満をほぼ通しません。
2022年のPNAS掲載の研究は、さらに踏み込みました。透明瓶に入れた白ワインを蛍光灯下に置くと、わずか7日でテルペン類が10〜30%、ノルイソプレノイド類が30〜70%失われた(β-ダマセノンは約65%減)。着色瓶では50日経ってもそうならない。つまり光劣化は「嫌な匂いが増える」だけでなく、それを覆い隠していた良い香りのほうが先に消えるという二重の損失なのです。
実践的な結論はごく単純です。透明瓶のワイン(ロゼやスパークリング、若い白に多い)は、店頭で光の当たる棚から取らない。買ったら箱か暗所へ。冷蔵庫の照明も、長期なら気にする価値があります。詳しい保管の作法は第26講とハウツー・ワインの保存に譲ります。
欠陥ではないものNot a fault — things you can safely ignore
欠陥を学ぶと、しばらくは何もかもが怪しく見えます。けれど「異常に見えるが正常なもの」を先に覚えておくほうが、実は役に立ちます。返品されがちな、無罪の四つを挙げておきます。
あとひとつ、境界線上のもの
白ワインをよく冷やすと、うっすら濁ることがあります。多くは低温で一時的にタンパク質が集まっただけで、温度が戻れば消えます。一方、戻しても濁ったまま、あるいはかすかな発泡があるなら別の話——瓶の中で再発酵が起きたか、乳酸菌が働いた可能性があります。AWRIは残糖10 g/Lを超えるワインが瓶内で再発酵すると、瓶が破裂しうると警告しています。膨らんだキャップや異様な圧を感じたら、無理に開けないでください。
揮発酸——「酢っぽい」の正体
もうひとつよくあるのが揮発酸(VA)。酢酸と酢酸エチルが主役で、AWRIによれば酢酸の香気閾値は0.1〜0.125 g/Lですが、実際に「欠陥」と感じられるのは0.7 g/Lを超えたあたりから。酢酸エチルは除光液のような匂いで、閾値の報告には一桁の開きがありますが、欠陥として立ち上がるのは150〜200 mg/Lあたりとされます。
面白いのは、揮発酸には各国が法的な上限を定めていることです。EUは白・ロゼで18 meq/L(=1.08 g/L、酢酸換算)、赤で20 meq/L(=1.2 g/L)。OIVの国際基準も20 meq/L。米国TTBは赤1.4 g/L、白その他1.2 g/L。日本については、全ワインに一律の法定上限を定めた規定を確認できませんでした。ただし国税庁の地理的表示(GI)の生産基準には数字が入っています——GI「山梨」は赤1.2 g/L以下・白/ロゼ1.08 g/L以下、GI「長野」は1.2 g/L以下。EUの数値とぴたり一致しており、日本のGIが国際基準を踏まえて設計されていることが読み取れます。第41講で読んだラベルの裏には、こういう数字が控えているわけです。
気づいたあと、どうするかWhat to do — at home, at the shop, at the table
知識の目的はここです。「変だ」と思ったときに、落ち着いて次の一手を打てること。
- まず、時間を置くグラスに注いで15〜30分。還元(ゆで卵、マッチ)なら軽くなることが多い。逆にブショネと熱劣化は、待っても回復しません——むしろブショネは時間とともに輪郭がはっきりします。「置いたら変わるか」は、最初のふるいとして優秀です。
- 温度を上げてみる冷たすぎると香りは出ません。冷えた白なら手で包んで数℃上げる。それで果実の香りが立ち上がるなら、欠陥ではなくサービングの問題です。
- 別のグラスに注ぐ意外に多いのが、洗剤の残りや食器棚のこもった匂いをワインのせいにしているケース。第49講で書いたとおり、グラスは無香の状態で保管してこそ道具です。もう一脚で試すと切り分けられます。
- それでもおかしければ、記録するコルクを抜いたまま瓶に戻し、中身は捨てずに取っておく。購入店やインポーターに相談する場合、状態の確認が必要になります。レシートも残しておくと話が早い。
- 店・レストランに伝える言い方はシンプルで構いません。「コルク由来の香りがするようなのですが、確認していただけますか」。断定せず、確認を依頼する形が最も通りがよく、間違っていたときも角が立ちません。
ホストテイスティングは「好みの確認」ではない
レストランで最初に少量注がれる、あの儀式。あれは「お口に合いますか」ではありません。マスター・オブ・ワインのアン・マクヘイルは、はっきりこう書いています——「ワインに何らかの欠陥があるかどうかを確かめるためのものです。残念ながら、好きかどうかを確かめるためではありません」。Wine Spectatorの解説も同じで、あの一口の目的は欠陥の確認であり、「思ったより渋い」「好みじゃない」を理由に返すための仕組みではない、と明言しています。
だからこそ、この講の知識が効きます。「好みではない」と「壊れている」を自分で切り分けられれば、あの数十秒は怖くなくなる。詳しい振る舞いは第35講にまとめてあります。
交換してもらえるのか
ここは国によって前提が違います。ドイツをはじめEU圏では、瑕疵担保責任(ドイツ民法434条以下)にもとづき、商人にはブショネのワインを交換する法的義務があるとされ、在庫がなければ返金を求められます。米国は法的義務というより商慣行で、造り手や販売者が顧客維持のために応じることが多い、という説明が一般的です。
日本には、業界横断の統一ルールがありません。「ブショネの交換・返金は基本的にお受けできません」と明示するインポーターもあれば、不良品として期限内の連絡で交換・返金に応じる小売もあります。飲食店では、ホストテイスティングの時点で申し出れば別のボトルに交換されるのが通例です。期待値としては「店による」。だからこそ、購入時に返品ポリシーを見ておくのが現実的な備えになります(第33講で書いた「信頼できる売り手から買う」という原則は、ここでも効いてきます)。
よくある質問Questions
風味の問題であって、健康被害を理由に警告されている欠陥ではありません。ただしTCAは香りの受容そのものを鈍らせるため、飲んでも「おいしくない」というより「何も感じない」に近い体験になります。無理に飲みきる必要はありません。購入店やインポーターに相談する場合は、中身を捨てずに残しておいてください。
いちばん確実なのは時間です。還元(ゆで卵、マッチ、ゴム)は、グラスで15〜30分置くかデキャンタに移すと軽くなることが多い。ブショネ(濡れた段ボール、カビた地下室)は置いても消えず、むしろはっきりしてきます。方向が逆なので、待つだけで切り分けられます。
コルク由来のブショネは原理的に起こりません。ただし還元臭については、AWRIが「不合格率は栓の種類で変わらない」と明確に否定しています。また、カビ臭の原因物質は樽材や建物からも来るため、栓を変えれば全部なくなるわけではありません。
いいえ。酒石(酒石酸水素カリウム)で、香りにも味にも影響しません。冷蔵庫で冷やした白ワインによく出ます。多くの造り手は見た目のために冷却安定化で先に落としていますが、落とさない造り手もいる、というだけの違いです。
断定せず、確認を依頼する形にすれば十分です。「コルク由来の香りがするようなのですが、確認していただけますか」。ホストテイスティングはもともと欠陥を確認するための儀式で、伝えること自体が想定された振る舞いです。間違っていても失礼にはあたりません。
避けるというより置き場所に気をつけるのが実際的です。実験では透明瓶は緑瓶の5〜9分の1の時間で光劣化しました。店頭で照明が直接当たる棚から取らない、買ったら箱や暗所に入れる——それだけでかなり違います。ロゼやスパークリングに透明瓶が多いので、特に。
自分の鼻を、信じられるようになるTrusting your own nose
第57講の持ち帰りを一言で。欠陥を知ることは、粗探しの技術ではなく、「好みではない」と「壊れている」を切り分ける技術です。濡れた段ボールはブショネ、ゆで卵は還元、シェリー様は酸化、馬小屋はブレット、煮詰めたような甘さは熱——そして置けば消えるのは還元だけ。この五つと一つのルールが頭に入っていれば、たいていのグラスは読み解けます。
同時に覚えておきたいのは、境界線が思ったよりぼやけていることです。還元は「火打石」という美点になり、酸化はシェリーやヴァン・ジョーヌという様式になり、ブレットは研究機関にとっては腐敗でも、飲み手にとっては個性であり続けてきました。欠陥と個性は、しばしば同じ化学の上に立っています。だからこそ最後に決めるのは、規格ではなくあなたの鼻です。
次の一本。 特別なものは要りません。いつも飲んでいる一本を、あえて二日目・三日目まで残してみてください。日ごとに果実の香りが退き、色が沈み、平板になっていく——それが酸化の実物です。教科書で読むより、自分のグラスで一度見ておくほうが、はるかに深く身につきます。可能なら、同じワインを栓をしたものと開けっぱなしのもので並べてみると、違いは決定的になります。
次回は銘醸図鑑へ。ブルゴーニュの北の端、「シャブリ・グラン・クリュ」。海だった土地の化石を含む土壌の上で、シャルドネがなぜあれほど硬質な酸をまとうのか——七つの特級畑を、丘の斜面ごとに歩きます。
