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ワインガイド Vinotier
世界のワイナリー

ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)

Domaine de la Romanée-Conti / 起源1232年(畑名は1760年〜)
産地
フランス・ブルゴーニュ/コート・ド・ニュイ・ヴォーヌ・ロマネ
格付け
グラン・クリュ9面(モノポール=ロマネ・コンティ/ラ・ターシュ、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾー、モンラッシェ、コルトン、コルトン・シャルルマーニュ)
代表銘柄
ロマネ・コンティ・ラ・ターシュ
ロマネ・コンティの畑の石碑
ロマネ・コンティの畑の石碑 / Photo: “Romanée-Conti vineyard” by Andrea Schaffer, CC BY 2.0(Wikimedia Commons)
どんな造り手?

ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)は、ブルゴーニュ・ヴォーヌ・ロマネ村の世界最高峰の生産者。単独所有畑(モノポール)「ロマネ・コンティ」「ラ・ターシュ」を筆頭に、現在は9つの特級畑からワインを生み、ピノ・ノワールの頂点とされます。極小生産で、世界で最も高価かつ希少なワインの一つです。

この記事の目次

世界最高峰のピノ・ノワール

ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)は、ブルゴーニュ・ヴォーヌ・ロマネ村に拠を構える、世界最高峰の生産者です。中心にあるのは、村の斜面中腹に横たわるわずか約1.8ha(1.814ha)の単独所有畑(モノポール)「ロマネ・コンティ」。ここから生まれるワインは年間およそ5,000〜6,000本——世界中の愛好家が奪い合うには、あまりに少ない数です。ピノ・ノワールが表現しうる均衡と複雑性の極致がここにある、という評価は、百年以上ほとんど揺らいだことがありません。

修道院、コンティ公、そして競売

畑の記録は1232年、サン・ヴィヴァン修道院がこの区画を手に入れたところから始まります。17世紀に「ロマネ」の名が生まれ、1760年、王族のコンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンが破格の価格で取得——以後この畑は「ロマネ・コンティ」と呼ばれるようになりました。ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人との争奪戦の逸話はあまりに有名ですが、後世の脚色を含むと見る説も根強く、「そう伝えられる」物語として味わうのがよさそうです。

近代の転機は1869年。ワイン商ジャック=マリー・デュヴォー=ブロシェが畑を取得し、その子孫が1912年に「ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ」の名を登記します。1942年に持分の半分がアンリ・ルロワへ渡って以来、ド・ヴィレーヌ家とルロワ家が折半で共同所有する体制が今日まで続いています。1974年から48年間ドメーヌの顔であり続けたオベール・ド・ヴィレーヌは2022年に退任し、現在は甥のベルトラン・ド・ヴィレーヌとルロワ側のペリーヌ・フェナルが共同で率いています。ルロワ家側の物語はドメーヌ・ルロワの頁で。

自根最後の1945年

ロマネ・コンティの畑には、他のどの銘醸にもない伝説があります。19世紀末に欧州の畑を壊滅させたフィロキセラ禍の後も、この区画だけは接ぎ木をせず自根のまま維持されたのです。しかし戦時中に防除資材が尽き、1945年が自根の樹から造られた最後のヴィンテージに(生産は約600本)。畑は抜根・植え替えされ、1946〜1951年は生産なし、1952年に再開しました。この「自根最後の年」の1本は、2018年のサザビーズで55.8万ドル、2026年3月にはアッカーの競売で81万2,500ドルと、ワイン1本のオークション世界記録を更新し続けています。

9つの特級——モノポールの帝国

DRCの象徴はモノポールの「ロマネ・コンティ」と「ラ・ターシュ」(6.06ha)ですが、手がける特級はそれだけではありません。リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾー、白の頂点モンラッシェに加え、2009年からは賃借畑のコルトン、2019年からは名門ボノー・デュ・マルトレイから借り受けたコルトン・シャルルマーニュが加わり、現在は計9つのグラン・クリュを数えます。さらにバタール・モンラッシェも小さく所有しますが、こちらは市販されず、ドメーヌ内での提供にとどまるとされる「幻の中の幻」です。ヴォーヌ・ロマネ村の畑の序列は銘醸図鑑 ヴォーヌ・ロマネで詳しく歩けます。

栽培は2007年にビオディナミへ全面転換。ロマネ・コンティなどの区画ではトラクターの代わりに馬で畑を耕す光景が見られます。2010年には「畑の樹に毒を注入する」と脅迫して100万ユーロを要求した男が身代金の受け渡し現場で逮捕されるという、映画のような事件も実際に起きました——この畑が背負う価値の大きさを物語る挿話です。

憧れの頂点として

ロマネ・コンティは1本が数百万円から数千万円。正規流通はアロケーション(割当)のみで、市場の中心はオークションです。多くの愛好家にとって「いつか飲みたい」夢の一本ですが、DRCの世界観に触れる入口としては、同じドメーヌのエシェゾーやコルトン、あるいはヴォーヌ・ロマネ村の他の造り手の村名・一級から始めるのが現実的です。熟成のピークをどう読むかは第29講 ヴィンテージと熟成完全編が役立ちます。ブルゴーニュの畑の階層や奥行きは、第4講 ブルゴーニュ完全編で深く学べます。

よくある質問

ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)とは?
ブルゴーニュ・ヴォーヌ・ロマネ村にある、世界最高峰のピノ・ノワール生産者です。単独所有畑「ロマネ・コンティ」「ラ・ターシュ」を筆頭に、現在は9つの特級畑からワインを造ります。畑の記録は1232年の修道院までさかのぼり、「世界で最も高価で、しばしば最良のワイン」とも評されます。
ロマネ・コンティはなぜ高い?
わずか約1.8ha(1.814ha)の単独所有畑から、年間およそ5,000〜6,000本しか造られない極小生産だからです。圧倒的な品質と希少性が重なり、1本100万円から数千万円クラスで取引されます。1945年ものは2018年にサザビーズで55.8万ドル、2026年3月にはアッカーの競売で81万2,500ドルの世界記録を付けました。
名前の「コンティ」とは誰のこと?
18世紀フランスの王族、コンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンのことです。1760年にこの畑を破格の価格で手に入れ、以後「ロマネ・コンティ」と呼ばれるようになりました。ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人と争奪戦を演じたという逸話が有名ですが、こちらは後世の脚色を含むと見る説もあります。
誰が所有しているのですか?
1869年にワイン商ジャック=マリー・デュヴォー=ブロシェが取得して以来の一族経営で、1942年からはその子孫のド・ヴィレーヌ家と、ルロワ家(ドメーヌ・ルロワやメゾン・ルロワで知られる一族)が持分を折半する共同所有です。半世紀近く顔役を務めたオベール・ド・ヴィレーヌは2022年に退き、現在は甥のベルトラン・ド・ヴィレーヌとルロワ側のペリーヌ・フェナルが共同で率いています。
「1945年が特別」と言われるのはなぜ?
ロマネ・コンティの畑は、フィロキセラ禍の後も接ぎ木をせず自根のまま維持された稀有な区画でした。その自根の樹から造られた最後のヴィンテージが1945年(約600本)です。収穫後に植え替えが行われ、1946〜1951年は生産なし、1952年に再開しました。「自根最後の年」という物語が、オークションで世界記録を生む背景になっています。
DRCのワインはロマネ・コンティだけ?
いいえ。モノポールのロマネ・コンティとラ・ターシュのほか、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾー、白のモンラッシェ、さらに賃借畑からコルトン(2009年〜)とコルトン・シャルルマーニュ(2019年〜)を造り、特級は計9つに及びます。バタール・モンラッシェも所有しますが市販されず、ドメーヌ内での提供にとどまるとされます。
どうすれば買える?
正規ルートはアロケーション(限られた取引先への割当)で、一般に入手は極めて困難です。市場ではオークションや専門業者を通じて取引されますが、価格は非常に高額で、偽造品への注意も必要です。比較的手が届きやすい入口としては、同じ造り手のエシェゾーやコルトンでも数十万円クラスになります。

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最終更新: 2026-08-28 / 編集: Vinotier編集部