海に抱かれた奥能登の畑
石川のワインを語るとき、まず思い浮かぶのが能登半島の先、七尾湾に面した奥能登の畑です。三方を海に囲まれた土地では、絶えず吹く海風がぶどうの房を乾かして病気を抑え、昼夜の寒暖差が実を引き締めていきます。濃さを競うのではなく、海辺らしいきれいな酸とミネラル感を生かす——それが奥能登の流儀です。世界農業遺産にも認められた里山里海の営みが、そのままワインの背景になっています。
牡蠣殻とヤマ・ソーヴィニヨン
奥能登の土づくりを象徴するのが牡蠣殻です。冬の味覚として親しまれる能登牡蠣の殻を天日で干して砕き、畑に撒く。もともと酸性に傾きやすい能登の赤土を、牡蠣殻のアルカリ分がやわらげ、ミネラルを補うと伝えられます。海の恵みが土に還り、ぶどうを育てる——土地の循環がそのまま味わいに結びついています。品種では、日本に自生する山ぶどうとカベルネ・ソーヴィニヨンから生まれた交配種ヤマ・ソーヴィニヨンが象徴的で、ほかにマスカット・ベーリーAやシャルドネなども栽培されています。
気候と土地の個性
石川は日本海側気候の土地です。冬は湿った季節風が雪を運び、曇りの日が続きます。ぶどうにとって楽な環境ではありませんが、奥能登の畑は七尾湾に面した穏やかな斜面にあり、海が気温の振れをやわらげてくれます。生育期には海風が絶えず畑を通り抜けて湿気を払い、病気を抑える。この海との近さこそが、奥能登の風土の核心です。土は酸性に傾きやすい赤土で、そこに牡蠣殻を加えて整える——気候も土も、海と里山の恵みに支えられています。冬の雪は栽培の苦労であると同時に、土の乾燥や凍結から根を守る布団の役割も果たすとされます。テロワールという言葉の意味を、これほど素直に感じられる産地は多くありません。
主な品種と味わいの傾向
象徴は赤のヤマ・ソーヴィニヨン。山ぶどう譲りの豊かな酸と濃い色調に、カベルネ・ソーヴィニヨン譲りの骨格が重なり、きりっと引き締まった味わいになります。渋みは強すぎず、少し冷やしてもおいしく飲めるのが日本の食卓向きです。マスカット・ベーリーAはやわらかな果実味で親しみやすく、白ではシャルドネが海辺らしいきれいな酸とミネラル感をまといます。総じて石川のワインは、濃縮感を競うのではなく、酸を軸にした「引き算の味わい」。楽しむときは白をしっかり冷やし、赤も14度前後のやや低めで。酸が主役のワインは、温度を下げるほど輪郭が際立ちます。海の幸を前にしたとき、その真価が発揮されます。
郷土の食との合わせ方
まず合わせたいのが、冬の能登牡蠣。牡蠣殻が育てた畑の白を、その牡蠣とあわせる——産地ならではの円環が一皿の上に完成します。ミネラル感のある白は生牡蠣にも焼き牡蠣にも寄り添います。のどぐろの塩焼きや炙りには、脂の甘みを受け止めるふくよかな白かロゼを。加賀料理の治部煮のようなとろみと甘みのある椀物には、渋み穏やかな赤が意外なほど合います。金沢の加賀野菜や金沢おでんのような滋味深い皿には、ヤマ・ソーヴィニヨンを少し冷やして。だしの旨みと山ぶどう由来の酸が、互いを引き立て合います。能登の魚醤「いしる」を使った鍋や刺身との相性には、寿司・刺身とワインの考え方が応用できます。発酵調味料の複雑な旨みには、同じく発酵から生まれるワインが本質的に相性のよい相手です。
ワイナリー巡りのコツ
奥能登へは金沢から能登半島を北上するルートが基本で、車での移動が現実的です。ワイナリー訪問は和倉温泉など能登観光と組み合わせると、土地の暮らしごと産地を味わえます。金沢から奥能登までは距離があるため、日帰りよりも一泊してゆっくり巡る旅程がおすすめです。試飲をするならドライバーの確保を忘れずに。また震災からの復旧が続く地域だけに、道路状況や受け入れ体制は変わりやすく、訪問前に最新情報を確認することがなにより大切です。地の魚を出す食事処と組み合わせれば、その日のうちに「産地で合わせる」体験ができます。訪れて、買って、飲む——それ自体が産地の支えになります。穴水町の能登ワインのページも参考にしてください。
産地の歩みとこれから
石川のワイン造りの歴史は新しく、平成に入ってから奥能登で本格化しました。地域おこしを兼ねて海を望む土地にぶどう畑が拓かれ、海風の土地に合う品種としてヤマ・ソーヴィニヨンが選ばれたと伝えられます。2011年には「能登の里山里海」が世界農業遺産に認定され、自然と共にある営みの価値が広く認められました。震災という試練を経てなお、畑は海を望む斜面にあり続けます。復興とともに歩む石川のワインは、日本ワインの中でもひときわ物語性の強い一杯として、これからも注目され続けるでしょう。牡蠣殻の土づくりに象徴されるように、この産地の個性は「海と共にある」こと。日本広しといえど、これほど海の近さを感じられる畑は多くありません。
震災を越えて、海の幸とともに
2024年元日の能登半島地震は、奥能登の各地に大きな爪痕を残しました。この土地のワイン造りもまた困難に直面しましたが、造り手たちは再び畑と向き合い、少しずつ歩みを取り戻そうとしています。石川のワインは、そうした土地の物語ごと味わいたい一杯です。まずは「日本ワイン」とはから背景を知り、富山など隣県のワインとも見比べながら、第9講 日本ワイン産地巡りで北陸のワインの個性をたどってみてください。能登牡蠣やのどぐろといった海の幸と合わせれば、この土地ならではの調和が見えてきます。
