ポイヤックの王者
シャトー・ラトゥールは、ボルドー・ポイヤックの1855年メドック格付け第1級。5大シャトーのなかでも最もパワフルで筋肉質なスタイルで知られます。タンニン豊富で凝縮感が強く、若いうちは硬く閉じていても、何十年もかけて壮大に開いていく——まさに「王者」の風格です。
同じ第1級でも、華やかさのラフィット、香気のマルゴーに対して、ラトゥールは構造と持久力で語られてきました。英語圏の批評では「難しい年でも水準を落とさない、最も安定した第1級」という評価が長く定着しています。格付けそのものの成り立ちは銘醸図鑑 メドック1855年格付けで扱っています。
塔の名を冠して
名は、14世紀にジロンド河口を守るために築かれた「サン・モベールの塔」に由来します。1331年に築塔を許可した文書が残り、百年戦争ではこの一帯の要塞として英仏の争奪の的になりました。もっとも、その中世の塔は現存しません。ラベルにも描かれる現在の円形の塔は、1620年代に建てられた「サン・ランベールの塔」と呼ばれる見張り塔で、いわば二代目のシンボルです。
18世紀にはセギュール家の所有となります。当主ニコラ=アレクサンドル・ド・セギュールはラフィットやムートン、カロン・セギュールまでを同時に手にし、ルイ15世から「ぶどうの王子」と呼ばれたと伝えられます。驚くべきことに、この家系の関与は1963年まで——およそ250年にわたって続きました。
その後は英国資本の時代です。1963年にピアソン・グループとハーヴェイズ・オブ・ブリストルが株式の大半を取得し、1989年にアライド・ライオンズへ。そして1993年、フランスの実業家フランソワ・ピノーが買い戻し、フランスの手に返りました。現在は持株会社アルテミス・ドメーヌの中核で、同グループはブルゴーニュのクロ・ド・タールやシャブリのウィリアム・フェーブル、シャンパーニュのアンリオなども擁します。経営は1998年からフレデリック・アンジェレが率い、近代ラトゥールの改革のほとんどは彼の下で進みました。
ランクロ——石垣の内側だけが名乗れる
ラトゥールの畑は全体で約90ヘクタールありますが、心臓部は別格に扱われます。城館を囲む石垣の内側、約47ヘクタールの「ランクロ(囲い地)」。グラン・ヴァンを名乗れるのは、この区画のぶどうだけです。
ランクロはジロンド河口を見下ろす深い砂利の丘で、下層に粘土を蓄えます。大きな水域のそばは気温の変化が緩やかなため霜の害を受けにくく、水はけのよい砂利は雨の多い年にも効く——「どんな年でも失敗しない」と評される安定感は、かなりの部分がこの立地の説明で足ります。植栽はカベルネ・ソーヴィニヨンが約8割ですが、グラン・ヴァンのブレンドでは9割を超えるのが通例で、たとえば2016年はカベルネ・ソーヴィニヨン92.9%にメルロー7.1%でした。
設備の面でも、ラトゥールは先行者でした。1964年、メドックで最初にステンレスタンクを導入し、温度管理された発酵をいち早く実現しています。木桶が当然だった時代のこの決断は「近代ラトゥールの幕開け」と語られます。1999〜2003年には醸造所とカーヴを大改修し、重力式の動線を整えました。
栽培は21世紀に入って大きく舵を切ります。2008年に馬耕を再導入(トラクターの重みで土を固めないため)、2015年ヴィンテージからランクロ全面を有機栽培に移行し、2018年にエコセールの有機認証を取得。区画の一部ではビオディナミ農法も実践されています。力強さの象徴のような蔵が、栽培では最も繊細な道を選んだ、という対比が面白いところです。
プリムールを離れ、飲み頃で届ける
2012年4月、ラトゥールはボルドーの商習慣を揺るがす発表をします。プリムール(先物)販売からの撤退——2011年ヴィンテージを最後に、収穫の翌春に樽見本で売る仕組みから降りたのです。以後は、この決断に合わせて増設した熟成セラーでワインを寝かせ、飲み頃に近づいてから蔵出しでリリースします。目安として、セカンドは収穫から7年前後、グラン・ヴァンは10年以上。実例として、2011年のグラン・ヴァンが市場に出たのは2019年9月でした。ネゴシアンを通じた販売網(ラ・プラス)自体は維持しつつ、出荷の時計だけをシャトーが握った形です。
発表の理由としてシャトーが挙げたのは、「最適な状態で保管し、飲み頃になってから届ける」こと。投機の対象として若いワインが右から左へ動くことへの違和感も、当時の関係者の言葉として報じられました。ボルドーの商習慣の中心にいた第1級がそこから降りた衝撃は大きく、十年以上たった今も、追随した大物はほとんど現れていません。
三層のワインと、買い方の現実
ワインは三層構成です。頂点のグラン・ヴァン(ランクロのみ)、1966年初ヴィンテージのセカンド「レ・フォール・ド・ラトゥール」(ランクロ内の若木とランクロ外の区画。「レ・フォール」は歴史的な区画名に由来します)、そしてボルドーのサードワインの先駆けである「ポイヤック・ド・ラトゥール」(1970年代に登場し、1990年前後から毎年生産)。
価格の目安は、グラン・ヴァンが1本15万〜30万円規模で、評価の高い年や古酒はさらに上。セカンドが数万円台、サードは2万円前後からです(2026年8月時点の目安。為替と市況で動きます)。初めてこの蔵に触れるなら、サードかセカンドから入るのが現実的で、ポイヤックらしいカシスと杉の香り、砂利の丘の骨格は、この価格帯でも十分に伝わります。
ヴィンテージでは、2009年・2010年・2016年が近年の代表格としてくり返し名前が挙がり、2016年には満点評価を付けた批評家が複数いました。もっとも、この蔵に限っては「当たり年を探す」ことの意味が他より薄い——難しい年にこそ真価が出ると言われ続けてきたシャトーだからです。ヒュー・ジョンソンが第1級それぞれを花や歴史にたとえたとき、ラトゥールに与えたのは「揺るぎない威厳」という趣旨の言葉でした。
熟成済みで届く蔵出しの安心感まで含めて、この蔵の価値です。長期熟成という時間の物差しは第29講 ヴィンテージと熟成完全編で、ボルドーの全体像は第5講 ボルドー完全編で学べます。同じ第1級のラフィットやマルゴーと読み比べると、五大シャトーがそれぞれ違う原理で頂点に立っていることが見えてくるはずです。


