ボルドー市に、飲み込まれた畑
シャトー・オー・ブリオンの異様さは、地図を見るといちばんよくわかります。ボルドー市の中心部から南西へわずか数キロ。畑の周囲には住宅とバス通りが迫り、五大シャトーで唯一、都市の中にあるのです。
行政上はペサック村。AOCペサック=レオニャンが制定されたのは1987年(1986年収穫分に遡って適用)で、それまでは広くグラーヴの一部でした。つまり「オー・ブリオンがあるからペサック=レオニャンという呼称が生まれた」のではなく、後から名前が追いついたと言うほうが順序としては正しい。
土壌はその名のとおりグラーヴ(砂利)。第四紀ギュンツ期に堆積した石英質の小石が丘(クループ)を作り、その下に粘土・砂・石灰岩・貝殻質の砂層が重なります。公式の説明では砂利の厚みは20センチから3メートル超まで場所によって大きく変わるとされます(英語資料には「18メートル」と書くものもありますが、桁が合いません)。
そして、この立地には副産物がありました。市街地に囲まれているぶん周囲よりわずかに気温が高く、ぶどうの成熟が早い——難しい年でも完熟に届きやすいという指摘は、複数の資料が一致して述べています。ただし「ボルドーで最も収穫が早い」と断定するのは避けたほうが無難で、しばしば最速に挙がるのは道を隔てた姉妹シャトー、ラ・ミッション・オー・ブリオンのほうです。
1521年、「最初のブランド」の作り方
この畑の名が文献に現れるのは1521年。1525年にジャン・ド・ポンタックが結婚を機に土地を得て、1533年に領主権を取得、1549年にシャトーの建設が始まります。
決定的だったのは十七世紀、アルノー3世・ド・ポンタックの代でした。彼は当時のボルドーで当たり前だった「産地をまとめて樽で売る」やり方を離れ、単一の所有地の名を冠して売るという手を打ちます。ロンドンで「ニュー・フレンチ・クラレット」と呼ばれたこの新しいスタイルは、従来の淡い赤とは別物として扱われ、桁違いの高値で取引されました。
そして1666年、息子のフランソワ=オーギュストがロンドンに酒場「ポンタックス・ヘッド」を開きます。自社のワインを、自社の店で、高く売る。産地直営のショールームというべきこの発想が、現代まで続く「シャトーの名前でワインを買う」という習慣の原型になりました。
有名なサミュエル・ピープスの記述は、その3年前——1663年4月10日のものです。
その後の来訪者も豪華です。1787年5月にはトマス・ジェファーソンが訪れ、ボルドー最良の4つの畑のひとつに数えました。1801年には外務大臣タレーランが購入し(1804年に手放しています)、1935年に米国の銀行家クラレンス・ディロンが買収して、現在に至るまでディロン家の所有が続いています。現在はその曾孫にあたるロベール・ド・リュクサンブール公子がドメーヌ・クラレンス・ディロンを率いています。
一級と、グラーヴ格付けの二重構造
制度の話を整理しておきます。ここは日本語の解説がいちばん混乱している部分です。
| 格付け | オー・ブリオンの扱い |
|---|---|
| 1855年メドック格付け | 第1級。本来はメドックのワインの一覧だが、この一軒だけが例外的に加えられた。当時の一級は4シャトーで、ムートンの昇格は1973年 |
| グラーヴ格付け (1953年制定・1959年確定) | 赤のみが格付け。全16シャトー・22ワインのうちの一つ |
| 同・白 | オー・ブリオン・ブランは含まれない。この一族で白の格付けを担ったのは隣のラヴィル・オー・ブリオン |
つまりオー・ブリオンは、二つの格付けに同時に名を連ねる唯一のシャトーでありながら、最も高価な白は無格付けという、ねじれた立ち位置にあります。「赤白ともにグラーヴ格付け」と書いてある解説を見かけたら、そこは疑ってください。ボルドーの格付けの全体像は銘醸図鑑 メドック1855年格付けで整理しています。
メルローが多い、一級
畑の規模は、公式サイトでは約51ヘクタール(赤48ヘクタール・白3ヘクタール弱)。資料により48〜53ヘクタールと幅がありますが、いずれにせよ五大シャトーで最小です(ラフィット約112、ラトゥール約92、ムートン約90、マルゴー約82ヘクタール)。
植栽比率は、メルローがおよそ45〜48%、カベルネ・ソーヴィニヨンが41〜44%、カベルネ・フラン約10%、プティ・ヴェルド約1%。メドックの一級よりメルローが多い——この一点が、しばしば語られる「しなやかさ」の背景として挙げられます。
ここで一つ注意を。植栽比率と、その年のブレンド比率は別物です。輸入元やショップの解説に「メルロー37%」といった数字が出てくることがありますが、それは特定ヴィンテージの調合であって、畑に植わっている割合ではありません。両者が混同されたまま流通している例は驚くほど多い。
白はセミヨンとソーヴィニヨン・ブランがほぼ半々。年産はおよそ500〜800ケース程度と伝えられ、赤の十数分の一という希少さです。
1961年、ステンレスタンクという賭け
技術面でこのシャトーを語るなら、1961年を外せません。この年、当時26歳で責任者となったジャン=ベルナール・デルマが、自ら設計したステンレス製の発酵タンク12基を導入します。ボルドーの一級シャトーとしては最初の試みでした(ラトゥールの導入はその2年後)。木桶が当然だった時代に、温度管理のできる金属を選んだわけです。1991年には二重構造のタンクに更新し、区画ごとの醸造をさらに細かくしています。
デルマ家は三代にわたってこの蔵の栽培・醸造を担ってきました。ジョルジュが1923年から、ジャン=ベルナールが1961年から2003年まで42ヴィンテージ、そして息子のジャン=フィリップが2003〜04年に引き継いでいます。半世紀を超えて一家が同じ畑を見続けるという構図は、大資本が入れ替わるボルドーではむしろ珍しい。
もう一つ、実物で気づく特徴があります。なで肩でエンボス加工の入った独特のボトル。1958年ヴィンテージから使われているもので、シャトー内で見つかった古い瓶をもとに、デカンタを模してデザインされたと説明されます。ラベルの読み方は第41講 ラベルの読み方完全編で扱っています。
一族の、もう三つの顔
| ワイン | 位置づけ |
|---|---|
| ル・クラランス・ド・オー・ブリオン | 赤のセカンド。2007年ヴィンテージから現在の名(旧シャトー・バアン・オー・ブリオン)。1935年の買主クラレンス・ディロンへのオマージュ |
| ラ・クラルテ・ド・オー・ブリオン | 白。2008年ごろ旧名レ・プランティエから改称。オー・ブリオンとラ・ミッション両方の白ぶどうをブレンドする |
| シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン | 道を隔てた宿敵だった隣家。1983年に買収し、長年のライバル関係に決着がついた |
| シャトー・キャトル・ヴァン | サンテミリオンの新プロジェクト。2011年取得。"Quintus"=ラテン語の「五番目」 |
味わいと、買うときの目安
評価の言葉として繰り返し登場するのが、煙草、シガーボックス、黒鉛(グラファイト)、トリュフ、そして「焼けたレンガ」。果実の甘さで押すのではなく、土と燻煙の側から立ち上がってくる香りだと形容されます。1982年について語られた「熱いレンガの上にカシスをこぼしたような」という表現は、この蔵の個性を言い当てた比喩として今も引用されます。
熟成については、五大シャトーの中では比較的早く飲み頃に入ると評されます。ただしこれは「長持ちしない」という意味ではなく、若いうちから楽しめる時期と、20年30年先の姿の両方を持っていると理解するのが正確です(第29講 ヴィンテージと熟成完全編)。
価格は、2026年時点の国際的な平均でおおよそ次のような水準です。赤のグラン・ヴァンが1本700米ドル前後、白のオー・ブリオン・ブランはさらに高く900米ドル台、セカンドのル・クラランスが200米ドル弱。白が赤を上回るという珍しい関係は、年産の少なさがそのまま値段に出た結果です。実際、辛口白の平均価格でオー・ブリオン・ブランを上回るボルドーは見当たらず、2位はラ・ミッション・オー・ブリオン・ブラン、3位がマルゴーのパヴィヨン・ブラン——という順序は、調査年をまたいでも動いていません。
逆に赤のほうは、五大シャトーの中では最も穏やかな価格帯に落ち着く傾向があります。ラフィット・ラトゥール・マルゴーの平均が900〜1,000米ドル前後で推移するのに対し、オー・ブリオンは700米ドル前後。日本の店頭でも、近年のヴィンテージが10万円台から見つかることがあります(店による開きが大きく、同じ年で1.5倍ほど違う例もあります)。為替と在庫、ヴィンテージで大きく動くので、あくまで桁の目安として見てください。
評点でいえば、1989年はロバート・パーカーが100点を付けた年として広く知られ、2009年と2016年もワイン・アドヴォケイト誌の100点として確認できます。なお1990年を「100点」と紹介する日本語記事がありますが、確認できるのは98点で、満点ではありません。ボルドー全体の地区の違いと格付けの構造は、第5講 ボルドー完全編でまとめて学べます。


