白ワインの、頂点の一角
ドメーヌ・ルフレーヴを語る言葉は、昔からほとんど揺れていません。ブルゴーニュの白、その頂点の一角。世界中の愛好家が「偉大な白」を数え上げるとき、ピュリニー・モンラッシェ村のこの一軒はまず外れることがない。
一族がこの村に居を構えたのは1717年。公式サイトも「depuis 1717」を掲げます。ただし、いまのドメーヌの形が三百年前からあったわけではありません。礎を築いたのは元海軍技師のジョゼフ・ルフレーヴ。フィロキセラ禍からの復興途上で畑の値が沈んでいた1905年から、村の一等地を集め始めました。危機の時代に土地を見抜いた者が、その後の百年を制する——ブルゴーニュではくり返し現れる型が、ここにもあります。
1953年にジョゼフが没した後は、息子のジョーとヴァンサンの兄弟が二人三脚でドメーヌを率い、この時期に「白の名門」としての国際的な名声が固まりました。
特級四枚、そしてピュセル
ルフレーヴの畑のリストは、白ワイン好きにとってはそれ自体が聖地の地図です。特級はモンラッシェ(約0.08ha)、シュヴァリエ・モンラッシェ(約1.99ha)、バタール・モンラッシェ(約1.91ha)、ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ(約1.15ha)の四枚。シュヴァリエの区画は単独の所有としては最大級(最大はブシャール・ペール・エ・フィス)で、ドメーヌの事実上の看板です。
1級では、村の名花レ・ピュセル約3ha——クリマ全体のほぼ半分を占める、単一では最大の所有。そしてクラヴォワヨン約4.8haは、クリマの85%以上をルフレーヴ一軒が耕す、ほぼ独占の畑です。コート・ド・ボーヌの所有は合わせて約24ha。造るのはシャルドネの白だけ。村と畑の背景は銘醸図鑑 ピュリニー・モンラッシェで詳しく歩いています。
アンヌ・クロードと、ビオディナミの実験
ルフレーヴの現代史は、アンヌ・クロード・ルフレーヴを抜きに語れません。1990年に従兄オリヴィエとともに経営へ加わり、1994年からは単独でドメーヌを指揮。彼女がドメーヌにもたらしたのがビオディナミでした。
重要なのは、その進め方です。土壌学者クロード・ブルギニョンとの出会いを機に、彼女は1990年から1級クラヴォワヨンで、慣行農法・有機・ビオディナミを区画ごとに並べて比較する試験を始めます。当時のセラーマスター、ピエール・モレとともに数年をかけて土とワインの違いを確かめ、納得したうえで1990年代後半に全所有畑を転換。「思想から入る」のではなく「検証してから賭ける」——この手順こそが、彼女を単なる信奉者ではなくこの農法の説得力ある証人にしました。ブルゴーニュを代表するドメーヌの全面転換は世界の生産者の背中を押し、いまに続く潮流の起点のひとつになっています(この農法の中身は第45講 自然派ワイン完全編で詳しく整理しています)。
彼女は2008年、ぶどう畑の真ん中に「ヴァンとテロワールの学校(École du Vin et des Terroirs)」を仲間と開き、テロワールと環境を尊重する造りを次代に伝える活動も始めました。2015年4月、59歳で死去。追悼記事は世界中のワイン媒体の一面に並びました。
パリの審判、「4位」の真実
1976年、パリで行われた歴史的なブラインド試飲会「パリの審判」。その白ワイン部門に、ルフレーヴのピュリニー・モンラッシェ1級レ・ピュセル1972年が出品されていたことは、あまり知られていません。
日本語の紹介では「4位に入った」と書かれることがありますが、公式の結果は10本中8位です。1位はカリフォルニアのシャトー・モンテレーナ1973年で、フランス勢の白4本の中でルフレーヴは4番目——おそらくこの「フランス勢の4番目」が、いつしか「4位」に化けたのでしょう。順位だけ見れば不本意な結果ですが、当時すでにフランス白の代表として選ばれる一軒だったことの証明でもあります。
造り——樽とステンレスの二段構え
ルフレーヴの醸造は、豪華さよりも設計の緻密さで語られます。発酵は野生酵母で樽の中。そのまま樽で約12ヶ月育てたあと、ステンレスタンクへ移してさらに約6ヶ月、澱とともに落ち着かせてから瓶詰めします。樽の風味をまとわせる前半と、果実と酸の輪郭を研ぎ直す後半——二段構えのエルヴァージュです(工程の全体像は第47講 ワインの造り方・醸造完全編へ)。
新樽の比率は控えめで、村名から特級までおおむね25%以下。樽の化粧ではなく、畑ごとの石灰質のミネラル感と張りつめた酸を主役に据える造りです。
2000年代、白ブルゴーニュ全体をプレモックス(早期酸化)問題が襲ったとき、ルフレーヴも無縁ではいられませんでした。ドメーヌの答えは明快で、2014年ヴィンテージから集成コルク「ディアム」を全面採用。トップドメーヌによる採用宣言は業界の議論を大きく動かしました。熟成を前提に買うワインだからこその、栓への投資です(瓶熟の考え方は第29講)。
現在——ブリスの時代と、南への一手
アンヌ・クロードの後を継いだのは、甥にあたるブリス・ド・ラ・モランディエール。国際的なビジネスの世界から戻った四代目の当主です。技術面では2017年からピエール・ヴァンサンが現場を率い、2024年末に自身のドメーヌ設立のため円満に退任——体制は代替わりしながらも、ビオディナミと二段熟成という土台は動いていません。
もうひとつ、覚えておきたいのが南への一手です。2003年末、ドメーヌはマコネ地区に畑を取得し、2004年ヴィンテージから「マコン・ヴェルゼ」を送り出しました。約9haをやはりビオディナミで耕すこの白は、村名ピュリニーの数分の一の価格でルフレーヴの造りの思想に触れられる入口。地価の高騰で身動きの取りにくいコート・ドールの名門が、次の土地をどこに求めるかを示した先駆的な動きでもありました。
味わいと、買うときの目安
ルフレーヴの白の味わいは、「豊かさより緊張感」と要約されることが多い。柑橘と白い花、火打石を思わせる香り、張りのある酸、そして石灰岩に由来すると語られる長いミネラルの余韻。若いうちから香りは開きますが、真価は瓶の中で数年〜十数年かけて現れる長熟型です。
価格の桁は、村名ピュリニー・モンラッシェで数万円、バタール・モンラッシェで十数万円、シュヴァリエ・モンラッシェは数十万円、そして年産が樽一つ分ほどのモンラッシェは100万円級。いずれもアロケーション中心で、正規の入手は容易ではありません。まずはマコン・ヴェルゼか村名から入り、この家の「張りつめた白」の文法に慣れてから畑を登っていくのが、遠回りに見えていちばん確かな道です。
赤の頂点DRCと白の頂点ルフレーヴ——ブルゴーニュの両極をあわせて知りたい方は、第4講 ブルゴーニュ完全編からどうぞ。

