三つの「ルロワ」を、まず分ける
ドメーヌ・ルロワを語るとき、最初につまずくのが名前です。ブルゴーニュには「ルロワ」を名乗るワインが三系統あり、中身も価格もまったく違います。
| 名前 | 性格 | 創業・所在 |
|---|---|---|
| メゾン・ルロワ Maison Leroy | ネゴシアン。買いぶどう・買いワインを長期熟成して出荷する。古酒の在庫の厚さで知られる | 1868年/オークセイ=デュレス |
| ドメーヌ・ルロワ Domaine Leroy | 自社畑の元詰め。この記事の主役。約22ha、特級9つ | 1988年/ヴォーヌ=ロマネ |
| ドメーヌ・ドーヴネ Domaine d'Auvenay | ラルー個人所有の別ドメーヌ。約4haの極小規模で、白の名品が多い | 1988年/サン=ロマン |
とくに誤解が多いのが三つめです。ドーヴネはドメーヌ・ルロワの一部ではありません。資本も別で、シュヴァリエ・モンラッシェ0.16ha、クリオ・バタール・モンラッシェ0.06haといった、ほとんど家庭菜園のような区画から造られます。クリオ・バタールは年産300本を切ると伝えられ、ドメーヌ全体でも年350〜500ケース規模。ルロワ一族の中でも、ここだけは別の惑星のような存在です。
1942年から1992年まで——DRCとの半世紀
ルロワ家の名を決定づけたのは、ドメーヌよりも先にDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)との関係でした。
1942年、ラルーの父アンリ・ルロワがジャック・シャンボンの持ち分を買い取り、DRCの半分を取得します。以後この蔵は、ド・ヴィレーヌ家とルロワ家という二つの家によって共同所有されることになりました。1964年にはメゾン・ルロワが英米を除く世界の輸出販売権を得ます。そして1974年、ラルーはオベール・ド・ヴィレーヌと並ぶ共同経営者(ジェラント)に就任しました。
その関係が切れたのが1992年1月です。ラルーは共同経営者の座を解かれ、同時にメゾン・ルロワはDRCの販売権を失いました。
理由は、公式には明かされていません。報じられてきたのは主に三つです。①1988年に自らのドメーヌを設立したことによる利害の衝突——DRCの共同経営者が、DRCと競合するドメーヌの主でもあるという状態。②1988年ヴィンテージの商業的判断をめぐる対立(ワイン・スペクテイター誌の記述)。③日本のバブル期に生じた並行流通をめぐる問題。日本語圏でよく語られるのは三つめですが、いずれも当事者が公式に認めたものではなく、断定はできません。
後日談も、この一族らしい重さを持っています。ラルーの後任には甥のシャルル・ロックが就きましたが、その約三か月後に交通事故で亡くなり、弟のアンリ=フレデリック・ロックが引き継ぎました。彼も2018年11月に56歳で世を去り、2019年1月からはラルーの娘ペリーヌ・フナルが共同経営者を務めています。ルロワ家はいまもDRCの50%を保有し、うちラルー個人が25%を持つとされます。「袂を分かった」という表現は、資本の面ではまったく正確ではありません。
1988年——買った畑と、売った株
ドメーヌ・ルロワの設立は、静かな出来事ではありませんでした。
1988年、ラルーはヴォーヌ=ロマネのドメーヌ・シャルル・ノエラを、翌1989年にはジュヴレ=シャンベルタンのドメーヌ・フィリップ・レミーを買収します。さらに1990年には、ムワーヌ=ユドロ家からミュジニーの区画を得ました。ブルゴーニュで特級を含む畑がこれほどまとまって動くことは、めったにありません。
その資金はどこから来たのか。伝えられているのは、家業の持株会社レロワSA(メゾン・ルロワ)の株式の3分の1を、日本の百貨店・高島屋に譲渡したというものです。以来レロワSAは、ラルー、姉ポーリーヌ・ロックの一族、高島屋がそれぞれ3分の1ずつを持つ形になったとされます。
よくある誤解 「高島屋がドメーヌ・ルロワの33%を保有している」という書き方をときどき見かけますが、これは不正確です。出資の対象は持株会社レロワSAであって、ドメーヌ・ルロワそのものの株式が3分割されているわけではありません。なお高島屋は日本での輸入元でもあります。
約22ヘクタール——買い直せない畑
現在のドメーヌ・ルロワは、およそ22ヘクタール。うち特級が9つあります。
| 特級 | 面積の目安 | 備考 |
|---|---|---|
| クロ・ド・ヴージョ | 約1.90 ha | ドメーヌ最大の特級区画 |
| ロマネ・サン・ヴィヴァン | 約0.99 ha | DRCに次ぐ第2の所有者とされる |
| リシュブール | 約0.77 ha | 同じくDRCに次ぐ第2の所有者 |
| シャンベルタン | 約0.70 ha | シャンベルタンの主要地主の一角 |
| クロ・ド・ラ・ロッシュ | 約0.66 ha | モレ=サン=ドニ |
| ラトリシエール・シャンベルタン | 約0.57 ha | — |
| コルトン・ルナルド | 約0.50 ha | コート・ド・ボーヌの赤 |
| コルトン・シャルルマーニュ | 約0.43 ha | ドメーヌの主要な白 |
| ミュジニー | 約0.27 ha | 四つの小区画。年産は数百本規模とされる |
一級はヴォーヌ=ロマネのボーモン(約2.61ha)を筆頭に8つ、ほかに村名と広域が続きます。エシェゾーやグラン・エシェゾーは所有していません——この二つはDRCの畑であり、混同されやすいので注意してください。ヴォーヌ=ロマネという村の畑の並びは、銘醸図鑑 ヴォーヌ・ロマネで整理しています。
15ヘクトリットルという選択
ドメーヌ・ルロワを唯一無二にしているのは、畑よりもむしろそこから採る量です。
1988年4月、ラルーはすべての化学合成資材の使用をやめました。同年の収穫後からビオディナミへ移行しています。きっかけは、ロワールのサヴニエールで実践していたニコラ・ジョリーを紹介した新聞記事で、実際に彼を訪ね、先駆者フランソワ・ブーシェの助言を受けたと伝えられます。ブルゴーニュでは最初期の実践でした。
代償は、すぐにやってきます。1993年、除草剤を使わない畑がべと病に襲われ、ロマネ・サン・ヴィヴァンの1ヘクタールからわずか700リットルしか採れないという事態が起きました。主要なスタッフが離れたと伝えられますが、方針は変わりませんでした。
| 項目 | ドメーヌ・ルロワ |
|---|---|
| 平均収量 | 約15 hl/ha(本人の説明は15〜20)。コート・ド・ニュイ平均のおよそ3分の1 |
| 年による振れ | 2012年 約9 hl/ha、2010年 約10、2008年 約13 |
| 果梗 | 完全除梗でも全房でもない。房の中心軸を手作業で外し、果粒は小梗に付いたまま残す独自の手法 |
| 発酵 | 木製槽・野生酵母・足によるピジャージュ。ポンプを使わない重力式 |
| 樽 | 新樽100%。36か月シーズニングの材、トーストは軽め |
| 熟成・瓶詰め | 樽で14〜18か月、澱引きはマロラクティック後の一度きり。清澄も濾過もしない。瓶詰め日は月の暦に従う |
| 認証 | エコセールの有機認証。ビオディナミ認証団体の現行取得は確認できていない |
1993年以降、外部の醸造家を雇っていないと伝えられます。決めているのは一人。ビオディナミという言葉が何を保証し、何を保証しないかは第45講自然派ワイン完全編で整理していますが、ルロワの場合、低収量と畑への立ち会いの密度こそが結果を説明していると見るのが素直でしょう。
ロマネ・コンティを超えた価格
市場での位置づけも、この二十年で変わりました。
2025年7月、ワイン・サーチャーの集計でドメーヌ・ルロワのミュジニー特級が、全ヴィンテージ平均で1本5万米ドルを突破し、この水準に達した最初のワインになったと報じられました。平均55,880米ドル。十年前の同じワインの平均が約4,664米ドルだったことを思えば、十倍を超える上昇です。同じ時点のDRCのロマネ・コンティが約24,000米ドルとされ、2019年以降ルロワが平均価格で上回り続けているという状況になっています。
オークションでも、2006年のミュジニーが2022年に34,100ユーロで落札された記録があります。デカンター誌は1999年のリシュブールを「ワイン・レジェンド」に選びました。
日本での実勢は、ヴィンテージと時期でまったく変わります。ミュジニーは1本数千万円規模、村名クラスでも十数万円からというのが、幅を持たせた言い方の限界でしょう。買うワインというより、価格が何を意味しているのかを考えるための一本です。
現実的な入口としては、まず第4講 ブルゴーニュ完全編で畑の階層をつかみ、ピノ・ノワールという品種の輪郭を村名クラスで確かめるところから。ルロワとDRCという二つの頂を知っておくと、その下に広がる山の高さがわかります。

